【今月のまめ知識 第81回】IDEA
公開日時:2019/12/25
とあるのんきな昼下がり・・・
あるる「おっにぎり♪ おっにぎり♪」
博士「おお、あるる。大きなおにぎりだなぁ〜。お前の顔ほどもあるではないか」
あるる「はいっ! おじいちゃんが握ってくれました。具が3種類も入っているんですよ〜。こんぶでしょ、しゃけでしょ、こっちはシーチキン!」
博士「おいしそうじゃな。今度わしにも作ってくれるよう、お願いしてくれないか」
あるる「もう、博士もくいしん坊なんだから〜笑 わかりました! お願いしてみます。おじいちゃんの三角おむすびは最高ですから、楽しみにしていてくださいね!」
博士「おや、三角とな? あるるよ、本当にこれが三角だと思うのか?」
あるる「え? え? どこから見ても三角ですよね?」
博士「本当に? 角は丸いし、ちょっとゴツゴツしておるぞ。定規で書いた三角形は誰が見ても三角形じゃ。でも、このおむすびは果たして、本当に三角形と言えるのかの〜?」
あるる「え?え?え? ??? なんて? ○△◎×◇???」
博士「ふぉっふぉっふぉっふぉっ。すまぬ、あるるよ。昨日、久しぶりに哲学書を読んだもので、つい・・・」
あるる「さんかく? さんかくって?」
博士「それについて、食べ終わってから説明しよう。まずはおじいちゃんのおにぎりを堪能しなさい」
あるる「は〜い」
イデア(IDEA)とは
イデア(IDEA)という言葉を聞いたことがあると思いますが、これはソクラテスの弟子であるプラトンの哲学に出てくる言葉です。
英語読みで「アイデア」となり、「着想」という意味で用いられています。
イデアには複数の解釈がありますが、一般的には「観念」や「理念」という意味です。さらに語源を辿ると「ものの姿、形」という意味になるようですが、プラトンが唱えるイデアは、単に目に見える姿かたちではありません。
「完璧な形を作り出すモト」とでも言えばよいでしょうか。頭の中にある“真の姿” “物事の本質・原型”のことを、イデアと呼んでいます。
紀元前387年にプラトンは「アカデメイア」という学園を開きます。その扉には「幾何学を知らぬ者、くぐるべからず」という額が掲げられていたといいます。
一見無関係なように見える古代ギリシャ哲学と幾何学は、実は太古から深い深い縁があるのです。
この機会に哲学を新鮮にとらえ、興味を持ってもらえたらと思い、この概念を前号でお話した幾何公差を交え、図形で説明します。
三角おにぎりは、本当に三角か?
コンビニエンスストアの三角おにぎりは、本当に三角でしょうか?
辺はでこぼこしているし、角は尖がっていません。これはちょっと無理がありそうです。
では、定規を使用してきれいに描いてみましょう。皆さん、上手に描けると思います。
しかし、幾何公差の観点から言えば、真直度は百分の何ミリかずれがあるでしょうし、拡大すれば角もコンマ何ミリかのRになっているはずです。
では、真直度がどれだけで、角のRがどれだけ未満だったら「三角形」と言えるのでしょうか?
残念ながらそのような基準は存在しません。「観念」として“三角形のようなもの”を三角形と言っているわけです。
もっというと、どんなに頑張っても「完璧な三角形」を私たちは描くことができません。真の姿としての三角形は実在しないのです。
でも、私たちは「三角形らしきもの」を「これは三角形である」と認識し、理解することはできます。
なぜ、それができるのかといえば、プラトンの言うイデアのおかげです。
私たちは頭の中に「観念」としてのイデアを持っているからこそ、不完全な形、それらしき形でも、共通の認識を持ち、理解することができるのです。
イデオロギー(ideologie)とは
そして、イデアに関連する言葉に、イデオロギー(ideologie)というものがあります。
これは「観念形態」「意識体系」といった、ものの考え方のことでドイツ語からきています。
その語源は、ギリシャ語のイデア(idea)+ロゴス(logos)です。
イデアはすでに述べて来たように観念、理念ですが、「ロゴス」は言語、伝達、法則と言った意味を持ちます。
つまりは「論理的に説明、体系化されたもの」という事になります。
実在しない理想となる真の姿を体系化したもの、それがイデオロギーということです。
しかし理想はそれぞれの条件によって異なるので、異なるイデオロギーが出会うと、だいたいの場合収拾がつかなくなって、悲惨な結果になりますね。例えば、売り手の理想は高く売ること、買い手の理想は安く買うこと、ですから。
ちなみに19世紀の経済学者マルクスは、イデオロギーを「擬似意識」と呼んで批判しています。
真実 VS 現実?!
イデアの話に戻ります。
プラトンの「イデア(IDEA)」は現実には存在しません。天上、つまり理想の世界(=イデア界)にしかない、というのがプラトンの説です。ですから、実際の肉体の目で見たものではなく、魂の目で見たものが真実の姿であると、彼は唱えるのです。
これに反論を唱えたのが、プラトンの弟子のアリストテレスです。いやいやそうじゃない。「現実の中に真実の姿がある」「物事の本質は現実の中にある」という現実主義の哲学を主張します。
つまり、本質は目の前にある現実の物体、現象の中にあるという考え方です。それこそ「事件は現場で起こっている!」ですね。
そして、前提から結論が正しいことを導き出す論証を行い、「3段論法」が生まれるのです。「AはB かつ BはCであるなら、Aは Cである」というあの論法です。今では数学にもよく使われていますが、アリストテレスのこの論証が、まさに論理学の基礎を作ったと言えるでしょう。
ただし、論理的という事は、つながりを明確にし、論証を過不足なく行うということです。3段論法は論理的に正しく見えても、前提や内容が正しくない場合があるので注意が必要だということを、一言添えておきまます。
アリストテレスの功績
そしてアリストテレスの学問から、「自然学」(現代のサイエンスに相当するでしょう)が構築されていきます。
アリストテレスはイデアを否定していたわけではなく、現実のものの中からイデア(真の姿)を見出すという考え方であったわけです。
アリストテレスの自然学は色々間違っていたため、近代になりガリレオ、デカルト、ニュートンによって順に更新されましたが、その功績は〝元祖科学者〟と言えるのではないでしょうか。
上述の三角形の話で分かる通り、イデア(理想)を現実の世界で振り回すと収まりがつきません。しかし、今ある科学も物理天文学も数学も、もちろん芸術にも、そのベースには哲学がありました。
プラトンとアリストテレスの真意はともあれ、理想を持って現実を論理的に進めるモノづくりを実行していきたいものです。たとえばできるできないは別にして、「事故ゼロにする!」といった理想を掲げることの大切さは、誰もが理解することでしょう。
お互いの理想を尊重しあい、現実的な話は感情論ではなく理論で進める。そこに哲学的エッセンスを加えていくと、思考もより深まるのではないでしょうか。