アルファ博士の気ままにトーク♪ 第17話【富山紹介第3弾】岩石のふるさと探訪記 ~ヒスイ海岸からフォッサマグナへ~

公開日時:2024/07/31

宇奈月温泉からさらに東へ

みなさん、こんにちは。アルファ博士です。


前々回前回は、富山の名物「ホタルイカ」からはじまって、常願寺川、立山連峰、恐竜の化石発掘、そして宇奈月(うなづき)温泉まで話が進みました。


今回はこの勢いに乗って、宇奈月温泉からさらに東の方向をご紹介したいと思います。

 


宇奈月温泉から東の方向というと、北アルプス(飛騨山脈)の山並みが日本海に落ち込んでいる場所で、さらにその東は、日本列島を東と西に分けている大きな断層帯「糸魚川ー静岡構造線」、そして大地溝帯「フォッサマグナ」があります。


今回はこのあたりを訪ねて、皆さんと日本列島が出来るまでの長い年月に思いを馳せてみたいと思います。

 

日本でも珍しい小石の海岸で石探し ~富山県朝日町のヒスイ海岸~

さて、最初に訪れるのは、富山県の朝日町の「ヒスイ海岸」です。

 

「ヒスイ」というのは、そう、あの日本で古来から宝石として使われてきた石で、漢字では「翡翠」と書きます。画数が多い字ですね。

 

ヒスイ作られたものといえば、古墳などから出土する「まがたま(勾玉)」が有名です。

 

ちなみに、「翡翠」という漢字は「かわせみ」とも読みます。ヒスイの色がカワセミの青く透き通った羽の色に似ていることから、中国で「翡翠」と呼ぶようになったのが由来だそうですが、石より鳥の方が先だったことに、ちょっと驚きました。

 

朝日町(あさひまち)は富山県の日本海に面している最も東の市町村で、朝日町からさらに東に進めば、松尾芭蕉の「おくのほそみち」の句で知られる「市振(いちぶり)の関」、そして、世に名高い断崖絶壁の「親不知(おやしらず)」の海岸があります。


県境ではあるものの、どちらもお隣の新潟県糸魚川市になりますが、ここは昔から越中(富山県)と越後(新潟)、さらには西日本と東日本を分けている、大きな境になっています。

 

海岸といえば「砂浜」をイメージすると思いますが、朝日町から糸魚川市にかけての海岸は、様々な種類の「小石(こいし)」の海岸で、このような小石の海岸は日本でも珍しいようです。

 

ヒスイ海岸でヒスイ拾い ~どれがヒスイ? ヒスイ探しにチャレンジ~

まずは、朝日町のヒスイ海岸にある町の施設「ヒスイテラス」を訪れました。


ここヒスイテラスでは、専門の係の方から、このヒスイ海岸で見つかるヒスイや、その他さまざまな石について、いろいろと教えていただけます。


また、ヒスイ海岸で拾ってきた石の種類や名前についても、教えていただけます。

 

日本でも珍しい小石の海岸 富山県朝日町のヒスイ海岸

ヒスイ探しを開始!

ヒスイ拾いに出かける前に、しっかりとヒスイの石の見分け方について教えていただきました。

「ヒスイを見分ける特徴」は、次の5つです。


1. 白っぽい
2. 角ばっている
3. よく見ると表面がキラキラしている
4. 大きさのわりに重たい
5. 表面がなめらか

 

さらに、ヒスイテラスの2階の展示コーナーで、ケースの中に並んでいる「本物のヒスイ」の姿を目に焼き付け、いざ、ひすい探しチャレンジです!

開始から約2時間、我を忘れ、ヒスイ探しに没頭。

海岸には、ヒスイ以外にも今まで見たことがないような綺麗な色や模様の石がたくさんあって、そちらにも心をを奪われました。

そのような石も含めて、10個ぐらいのきれいな石を「ヒスイテラス」に持ち帰り、係の人に見てもらいました。

さて、さて、この中にヒスイはあるのでしょうか?
「お宝鑑定」の結果は・・・

ヒスイ?と思った(思いたかった)きれいな石は、「石英を主とする石」でした。

ヒスイは、もっと乳白色でなめらかなものとのこと。
そう言われると、拾ってきた石は、だいぶガラス的な表面でした。

この石英を主とする石は、ここの海岸ではよくある石で、特に珍しいものではないとのことでしたが、それはそれで、きれいに輝いた美しい石だったので、「自分のお宝」と考え、この石に出会えて良かったと思いました。

このヒスイ探しやきれいな石拾いは、朝日町やお隣の糸魚川市の海岸でできるのですが、家に持ち帰ってよいのは、手のひらに載るぐらいの大きさのものまで。「自分でとっておきたい数にとどめる」こととされています。

そこで、これら10個ぐらいのきれいな小石を記念に持ち帰って、自宅の棚に飾りました。

 

朝日町ヒスイテラスのヒスイ展示品

市振の関から親不知海岸を越えて、新潟県糸魚川市へ

朝日町のヒスイ海岸から、さらに東へ足を進めましょう。


富山県と新潟県の県境となっている「境川」を超えると、市振(いちぶり)に出ます。

先ほども言いましたが、ここは松尾芭蕉のゆかりの地。では、当時をしのびながら、有名な「奥の細道」の一句をば。

 

 「一家(ひとつや)に 遊女もねたり 萩と月」

 

実に風流ですね。


この市振の宿は、街道の難所中の難所「親不知(おやしらず)海岸」の西側の宿場町で、これから難所を超える人、難所を越えてきた人が休息する宿場でした。


今回、街を歩きながら、道幅や道の曲がり具合、周辺の地形から、松尾芭蕉が歩いた頃を想像してみました。


宿場の東の端の海岸からは、難所中の難所「親不知海岸」を望むことができました。

まずはその美しい景色をご覧ください。

 

 

市振の海岸から親不知海岸を望む 国道の洞門が見える

山が海に落ち込む親不知海岸 昔はここの海岸を歩いて通った

上の写真に小さく写っているように、現在では国道は山肌の高い場所に「洞門(どうもん)」(がけ崩れから守るコンクリート製の屋根)が通っていますが、江戸時代以前は、崖が海に迫る海岸を歩いたとのこと。

 

北陸自動車道や北陸新幹線は、この海岸の崖から近い山の中をトンネルで通過しています。

 

市振から国道を東に進むと、親不知海岸です。国道から海岸まで続く遊歩道が整備されていたので、せっかくなので降りてみました。

 

遊歩道とは名ばかりで、ほとんど崖といってよい急傾斜をつづら折りと階段で降りていくと、崖の下に狭い小石の浜がありました。

その浜の東と西は、崖が海の中まで落ち込んでいて、人が歩けるような海岸の幅は全くありません。

 

日本海は、満潮と干潮の潮位の差は最大でも50cm程度ですので、干潮に歩いて通る場合でも、足を海の水に浸しながら、滑りやすい岩の上をたどるように歩いたと想像します。

 

このあたりの海岸は、急に深くなっているので、もし、岩の上で足を滑らせれば、命にかかわります。ましてや波の高い時、海の冷たい季節は、歩いて渡ることはほぼ不可能。無理に通れば、それこそ命がけだったでしょう。

「親知らず、子知らず」の名前が、誇張ではないことがよくわかりました。

 

フォッサマグナミュージアムへ ~ヒスイはどこで出来て、どうして海岸で見つかるのか?~

親不知海岸を現代の国道で通り抜けて、糸魚川の市街に入り、フォッサマグナミュージアムを訪問しました。
ここでは、ヒスイについてさらに詳しく知ることができました。

 

この乳白色の「ヒスイ」は、いつ、どこで、どのようにして出来たのか、それは途方もない、想像も出来ないような長大な時間と壮大な広さを持つ話でした。

これを詳細に語れば、本1冊になってしまう内容なので、端的に説明してみると、、、

 

・いつ出来たか?

5億数千万年前、この頃の日本は大陸の東端にあったそうです。その大陸の名は「ゴンドワナ大陸」。南半球にありました。

 

・どこで出来たか?

地下深く、なんと「数十km」の深さ! メートルでいえば、数万mの地下です。

 

・どのように出来たか?

熱水から結晶が析出した、または他の鉱物が高い圧力を受けて変性して出来た、とのこと。

 

それが、どのように地下深くから地表近くに出てきたのでしょうか?

 

説明によれば、地球表面の「プレート」同士の押し合いによって、地下深くから絞り出されるように上がってきたとのこと。

その際、比重が小さく軽い「蛇紋岩(じゃもんがん)」が運び屋の役割をして、比重が大きい「ヒスイ」が上がることができた・・・とありました。

 

それでは、どうして海岸でヒスイの石が見つかるのか?・・・については、次の2つの考え方があるようです。


ひとつ目は「山の中の「ヒスイの大きな岩」が、寒暖差や水分の凍結によって割れて中ぐらいの石になり、その石が川を流れ下るうちにさらに割れて小石になり、それが海に流れ下り、そして海岸に打ち上った」という説。


2つ目は「海の中にも、山の中と同じように「ヒスイの大きな岩」があって、寒暖差や波浪によって割れて小石になり、そして海岸に打ち上がった」との考え方です。

 

フォッサマグナミュージアムのヒスイ原石と真柏(しんぱく)の木

ヒスイの出どころを見とどけに、小滝川ヒスイ峡へ

フォッサマグナミュージアムを見学してから、しばらくたったある休日、ヒスイの「出どころを」この目で見てみたいと、「小滝川ヒスイ峡」に行ってみました。

 


クルマを運転して、糸魚川の海岸から約25km、約50分、山の中を走って、小滝川ヒスイ峡に着きました。

 

ここはヒスイの原石=大きな岩が、たくさん川辺に転がっている場所で、発見されたのは、昭和14年(1939年)、世の中に認知されたのはさらにその16年後の昭和30年(1955年)、国の天然記念物に指定され、保護されるようになりました。

 

そう、ヒスイの出どころ「ヒスイ峡」が発見されたのは、比較的最近の話なのです。

 

訪問した日、幸いにもこの場所を保護管理している係の方から、いろいろお話をうかがうことができました。


ヒスイの原石が発見された時の話、その後天然記念物に指定されるまでの話、ヒスイ峡に接する斜面に地滑り発生、その復旧と維持のための工事、向いに見える明星山の話などです。

 

次の写真を見てください。このヒスイ峡の真後ろの山が「明星山(みょうじょうさん、みょうじさん)」で、標高は1188m 、ヒスイ峡に面して400mの岩壁が切り立っています。

 

この山は、約3億年前のサンゴ礁による石灰岩から出来ていて、その山肌には、盆栽に珍重される「真柏(しんぱく)」の木が育っています。


この真柏の木を採取するのに、昔はたくさんの人がこの山に登って、中には誤って落ちて亡くなった人もいたとのことです。

 

ここは5億数千万年前に出来たヒスイの原石と、3億年前のサンゴ礁による石灰岩の山、このようなとてつもなく古いものが出てくる場所でした。

 

また、そこには進化の進んだ真柏の木が植生していて、まさに「壮大な時間スケールの壮大な景色」を見ることが出来ました。

 

小滝川ヒスイ峡と明星山

小滝川ヒスイ峡 ヒスイの巨石がゴロゴロ

日本列島の東と西の境い目

数億年の時間からすると、日本列島が大陸から分離したのが2,000万年前とされているので、これはもう「最近のこと」とも思えてきますが、この日本列島が大陸から分離して、「観音扉が開くように」日本海を形成して、東日本と西日本の原形ができました。


この東日本と西日本の間隙が「フォッサマグナ」(大地溝帯)です。

 

この小滝川ヒスイ峡からほど近い場所に、このフォッサマグナの西側の境になっている「糸魚川ー静岡構造線」の露頭(地上に露出している場所)があるので訪れてみました。

 

下の写真を見てください。断層の境目ははっきりしていませんね。

 

これは「破砕帯(はさいたい)」というものだそうで、断層が何度も動くと、境目に近い部分は、岩石がだんだん壊れてボロボロになり、境目のはっきりしない「破砕帯」が出来るそうです。

 

この糸魚川ー静岡構造線を境にして、その東と西では、いろいろな違いがあります。この場所にたどり着くまでの遊歩道に、その違いを説明する看板がいくつか立っていたので紹介すると・・・

 

・電気の50Hz(東)と60Hz(西)・・・これは有名ですね。
・おにぎり(東)とおむすび(西)
・灯油のポリタンクの色:赤(東)と青(西)
・おぞうにのお餅:四角(東)と丸(西)

 

などなどあるそうですが、これを富山の住人に聞いてみたら、どっちもあるようで、富山は、東と西が混在しているようですね。

 

東西日本を分ける大断層糸魚川静岡構造線(断層)の露頭

日本列島が出来るまでの長い年月に思いを馳せる

今回は、富山県朝日町のヒスイ海岸から、お隣り糸魚川市の市振の宿、親不知海岸、小滝川ヒスイ峡、そして糸魚川ー静岡構造線(断層)の露頭までをご紹介しました。


この訪問では、ヒスイが地下深くで出来た5億数千万年前から、日本列島が出来た2,000万年前までの途方もなく長い年月と地球的なサイズの変遷に思いを馳せることができました。


皆さまの住んでいる場所にも、きっと、地球と日本の長い年月を感じることができる場所があると思います。これからも折をみて、そのような場所を訪れてみたいと思いました。

 

今回のお話は以上です。

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