アルファ博士の気ままにトーク♪ 第24話 これからの「新しい観光」 ~素の状態をシンプルに楽しむ~
公開日時:2025/04/30
これからの新しい観光
いま「観光」という言葉からは、いささか寂れた感じを受けます。
それは、これまでに様々な開発やブームを経て形成されてきた観光地が、更新されずに古びてしまったり、時代のニーズに合わなくなったりといった状況になっていることがあります。
全国的にそのような状況がある一方で、本来の観光地の魅力を今一度見直して、リフレッシュしようという活動があります。
今回は、富山県の隣の隣、北陸三県の一番西に位置する、福井県の観光地を訪れて、そのような新しい時代の観光を楽しんでみたいと思います。
福井県の観光の現在 〜北陸新幹線開通を経て、インバウンド需要と新しい時代に対応するべく、リニューアル中〜
北陸新幹線は、昨年2024年3月16日に、それまで開通していた金沢からさらに西に伸び、福井を経て、敦賀まで開通しました。
これにより、東京から福井まで乗り換えることなく、約3時間、最速2時間51分で行くことができるようになりました。
反対に、大阪や京都の関西方面からは、これまで在来線の特急電車「サンダーバード」で乗り換えなしで福井まで行けたのですが、敦賀で新幹線に乗り換えることになりました。
この北陸新幹線の延伸開業を大きなきっかけに、福井県の各地は、海外からのお客さん、初めてのお客さん、そしてリピーターのお客さんに来てもらえるようにと、観光地の再整備に長期的な視点で取り組んでいるとことが、いろいろなニュース媒体で報じられていました。
その中心的なコンセプトが「素の状態をシンプルに楽しめるように」とのことなのです。
恐竜化石発掘体験 〜どこでどのように恐竜の化石ができて、この場所から出てきたか〜
「うどん県」といえば香川県のように、福井県は「恐竜王国」として今や有名です。
でも、福井県が恐竜の国として有名になってきたのは、意外と最近のことなのです。
というのは、恐竜時代の化石が発見されたのが1982年、
本格的に発掘が開始されたのが1989年、
イグアノドン類の恐竜の化石が発見され全身骨格が復元されたのが1995年、
そして現在多くのお客さんで賑わっている恐竜博物館が開館したのが2000年、
と、意外と最近のことなのです。
それまでは、日本では恐竜の骨格化石が発見されることはなかったため、驚きのニュースとして報じられてきました。
そして今では、福井といえば恐竜、恐竜といえば福井、というまで有名になったというわけです。
福井県立恐竜博物館は開館以降も発展を続け、北陸新幹線延伸開業を前にした2023年7月には、拡充リニューアルオープンしました。
福井県立恐竜博物館
福井県立恐竜博物館
恐竜博物館は大変充実していて、発掘された恐竜化石はもちろんのこと、発掘や研究の全貌、地球の歴史に及ぶまで、行き届いた内容です。
私はこの博物館を2回訪問し、それらを端から端まで時間をかけて見学して堪能しました。
そうして見ているうちに「これらの恐竜の化石が、どこでどのように発掘されて発見されたのか自分の目で確かめてみたい」と思ったのです。
ふつう化石の発掘場所は、険しい山の奥の谷間であることが多く、また貴重な化石の発見場所は天然記念物として保護されていて、その場所が公開されていることも少ないのです。
それなので、ここ福井の場合も私のような一般の人が、化石の発掘場所を訪問することは、たぶん難しいだろうなとも最初思ったのですが、「求めなさい、そうすれば与えられる」ということがここにはあって、素晴らしいことに、発掘場所は整備されて一般に公開されているのです。
ここ福井県勝山市の貴重な恐竜の化石発掘場所は、県境に近い山の中にあり、その向かい側の丘の上には「野外恐竜博物館」が公開されていて、県立恐竜博物館からガイドバスが出ています。
大自然の谷間にあるものの、途中の林道から奥は一般の立ち入りは禁止になっていて、このガイドツアーでのみ参加が可能となっています。
素の状態をシンプルに楽しむ 〜発掘場所に立ってこの目で確認、発掘を体験する〜
この発掘場所を訪問したことは、 第16話「遠くて近いもの」第3弾!~「生命」化石が語るその稀有な存在、温泉につかって思いをめぐらせる~で報告しました。
また、この時の発掘体験では、運良く「何かの骨」を発掘してしまい、めでたく、ブツは「研究のため没収・登録!」となりました。
この時の見学と体験は、「素の状態をシンプルに楽しむ」そのものであり、それはもう「楽しむ」を超えて、ものごとをとらえる世界観が変わるような、大きな経験だったと思います。
この経験は、現代の私たちが生きているこの時から、恐竜たちがここを歩き回っていた1億2000万年前までさかのぼる、そしてまた現代に戻ってくる、「映画の早回しのような想像」をすることができたようにも思えて、とても面白く感じました。
恐竜化石の発掘場所 1億2000万年前は「アジア大陸東部の海に近い盆地」だった
東尋坊 〜1300万年前にマグマが固まって出来た「柱状節理」が作った断崖絶壁〜
ここはまさに「古くからの名だたる観光地」で、地元の坂井市が中心となって現在再整備が進められています。
その基本コンセプトは「自然の状態に戻す」です。
東尋坊の海岸地形が本来持っている貴重な地質的特徴と、雄大な自然の風景を堪能できるように再整備しようというものです。
これは、リニューアルの方向性を検討していた検討委員会の委員の一人が、戦後間もない頃の航空写真を見つけ、その自然のままの状態の魅力に感動したことから始まります。
現在、各土産物店が所有している駐車場をひと所にまとめ、その駐車場もアスファルトをひかず緑化し、末長く地元の人々が愛する場所となるよう、これからの観光地のお手本にもなるような長期的な視点に立った整備が進められています。
のんびりした休日のある日、地質的な興味が高じて、東尋坊を久しぶりに訪れてみることにしました。
富山からは高速道路(北陸自動車道)を使って約2時間。
今回の訪問は「柱状節理の地形を楽しむ」をメインテーマに訪れました。
車を繁華な東尋坊の中心地ではなくて、事前に調べた、南に1.5kmほど離れた海岸沿いにある公共駐車場に停めてみました。
これは「素の状態をシンプルに楽しむ」にマッチした良い選択でした。
この駐車場から東尋坊の中心地までは、海岸沿いの低い木立の中、左手に日本海を望みながら、散策することができました。
東尋坊 散策の小径から日本海を望む
この小径を進むと、左手の海岸の地形が、次第にそれらしい地形になっていく様が見られました。
幸い天気も良く、海の青さをバックに、縦に切り立った岩石の様子がよく映えて、この風景が見られただけで来た甲斐があったというものです。
東尋坊 散策の小径を進むと次第に・・・
断崖絶壁です。
この場所は、以前から地形を自然のまま味わえるように柵などの工作物が全くありません。
確かに危険がありますが、逆に危険なことがあまりにもよく分かるので、訪れている皆さん、相当に注意していることが窺えました。
単純に言えば、とても怖いのです。
もちろん、危険に対応しきれない、小さな子どもさんなどの行動については、相当なサポートが必要な場所です。
素の状態をシンプルに楽しむ 〜地形や風景をゆっくりと眺める〜
このように、今回は地質的な興味を主にして、自然の中を散策して、東尋坊を楽しむことができました。
また、落ち着いた雰囲気に再整備された休憩所の施設では、素晴らしい風景を眺めながら、おいしいお茶を飲みながら、ゆっくりと滞在を楽しむことができました。
永平寺 〜旧参道 山の中の静かで清々しい佇まいを再生〜
永平寺といえば、年越しのNHK番組「ゆく年くる年」で、山中の雪景色の境内の厳かな雰囲気の中、除夜の鐘がゴーンと鳴る情景が思い浮かびます。
ここはもちろん「観光」の場ではありませんが、一度は訪れてみたい場所の一つではないでしょうか。
ここは今から約 700年前の鎌倉時代に道元禅師により開山された曹洞宗の大本山です。
これまでいつかは訪れてみたいと思っていた場所でしたが、なかなかその機会がなく、
今回(2024年6月)やっと参拝することができました。
永平寺 清々しい境内
訪れた時期が6月ということで、境内は緑がまぶしくあふれていました。
ゆく年くる年の雪がしんしんと降る雰囲気とは全く違う季節の訪問ではありましたが、山の清らかな気を清々しく感じることができました。
ここ永平寺は、禅宗の修行の道場なので、もともと「みずからが素の状態になるべき場所」といえます。
そのような中でも、元々の素の良さを取り戻す取り組みが見られました。
それが「旧参道の再生」です。
これは舗装を石畳にするなど、昔、自然と共にあった静かな佇まいを取り戻す取り組みです。
現在賑わっている参道と並行する川側に、1600年代の古地図を参考に、「旧参道」を再生したのです。
「新しく旧参道ができた」と言うとちょっと変に聞こえますが、なるほどという内容でした。
これも、今回の「素の(もともとの)状態をシンプルに楽しむ」に合っていて、良い気持ちがしました。
永平寺 修行の道場
一条谷(いちじょうだに)朝倉氏遺跡 〜草地と礎石に、かつての城下と時代を想像〜
そして今回初めて、戦国時代の大名、朝倉氏の城下町遺構を訪ねました。
ここは、以前から城下町の遺構があることは知られていましたが、本格的な発掘調査は昭和40年代に開始され、1971年に谷全体が、国の特別史跡に指定されました。
それ以降現在まで50年以上にわたり、全域の発掘と保存整備が進められています。
今回訪れて思ったのですが、ここほど「素の状態に戻す」をどのように考えたらよいかが難しい場所も無いだろうと思いました。
なぜなら、戦国時代に灰燼に期して以来、埋もれ、田畑の下に眠っていたこと自体が、大きな価値だとも思えるし、そこを発掘して、礎石などが露出した状態で保存する場合は、50年100年ぐらいの短期的な保存は成り立つかもしれませんが、今後、500年、1000年単位での長期的な保存をしていくと考えると、風雪による侵食を防ぐためには、埋め戻して保存することがよいと思われるからです。
ただ、そうなると、以前の城下町の佇まいを示すものが無くなるので、何らかの指標を地上に構築することになりますが、それは、最も簡単な「標柱」のようなものとするか、それとも「礎石の複製」にするか、それとも「建築物の再現」とするか、難しいところかと思うのです。
現在は、それらを場所によって使い分けたような状態になっていました。
建築物の再現は、木造の場合、維持管理に手間と費用がかかり、長くは保たないので、ある期間で更新しなければならない難しさがあるかと思います。
一乗谷朝倉氏遺跡
谷全体が、国の特別史跡
これからの「新しい観光」 ~素の状態をシンプルに楽しむ~
今回は、福井県の名所を「シンプルに楽しむ」ことをコンセプトにして、訪れてみました。
他の場所で、お馴染みの場所であっても、今までとは違う心持ちで訪れると、また新鮮な発見があると思います。
今回分かったのは、その心持ちがシンプルであればあるほど、得るところが多い、楽しい訪問になるということでした。
今回のお話は以上です。