アルファ博士の気ままにトーク♪ 第26話 雨ニモマケズ、風ニモマケズ 〜石と宮沢賢治、砕石工場訪問記~
公開日時:2025/07/30
雨ニモマケズ、風ニモマケズ
「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」は、みなさんも、よくご存知でしょう。
宮沢賢治が、手帳に書き記した文章(詩)です。
私の若かりし頃(今でも気持ちだけは若いですが!)、入社研修の最後に、
このことばを引用して、当時の気構えといったものを書きました。
しかし、宮沢賢治が書いたのは、私のように元気いっぱいな時ではなく、
37歳に胸の病で亡くなる少し前、闘病中に書き記したものなのです。
今回それを知り、なおさら、このことばに感銘を受けました。
雨ニモマケズの手帳(レプリカ)
砕石工場を訪れた宮沢賢治(後列右から4人目)
砕石工場、石と賢治のミュージアム 〜人々のため、身を削って尽力した二人の生涯〜
岩手県一関市の市街地から東方向に15kmほど、「南部北上山地」に入っていきます。
電車では、一関から大船渡線で約30分、車でも一関市街から約30分ほどです。
近くには、新緑や紅葉の頃特に美しい渓谷「猊鼻渓(げいびけい)」があり、
そこに、宮沢賢治が技師として勤めた石灰岩の砕石工場「旧東北砕石工場」があります。
現在は、一関市の管理する市立博物館「石と賢治のミュージアム(太陽と風の家)」が併設され、維持保存されています。
ここでは、宮沢賢治と工場主鈴木東蔵の生涯について、また、宮沢賢治の書いたものに登場する鉱石や、北上山地の地質や化石など、貴重な実物が展示説明されています。
その頃、東北地方は、毎年のように冷害に見舞われて、食べるものにも困る生活が続いていました。
そのような中で、人々が少しでも楽に暮らすにはどうすればよいか、賢治と鈴木東蔵は日夜考え、身を削って取り組んでいました。
鈴木東蔵は砕石工場を創業し、この地の古い地層から採れる石灰岩を砕石して石灰を作り、火山性の酸性の土壌が多い東北の土地を改良するために尽力しました。
工場経営は厳しく、赤字に苦しみながらも事業を発展させていきます。
そんな鈴木東蔵とある時偶然出会った宮沢賢治は、その事業に共感し、技師として、またセールスマンとして力を尽くしました。
宮沢賢治が勤めた旧東北砕石工場
旧砕石工場に保存されている砕石機械
旧砕石工場の中 採石した石灰岩を砕いて石灰の粉を製造していた
石と宮沢賢治 〜「銀河鉄道の夜」 幻想的な銀河の情景〜
宮沢賢治の著作には、さまざまな鉱物が登場します。
代表作の『銀河鉄道の夜』には、次のような場面が描かれています。
河原の礫(こいし)は、みんなすきとほって、たしかに水晶や黄玉や、またくしゃくしゃの皺曲(しうきょく)をあらはしたのや、また稜(かど)から霧のやうな青白い光を出す鋼玉やらでした。
ジョバンニは、走ってその渚に行って、水に手をひたしました。
けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとほってゐたのです。
それでもたしかに流れてゐたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮いたやうに見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光をあげて、ちらちらと燃えるやうに見えたのでもわかりました。
〜宮沢賢治著「銀河鉄道の夜」より〜
宮沢賢治は子どもの頃から鉱石の収集に熱中し、学校では鉱物や、土壌の改良について学びました。
ルビー:「蝎(さそり)の火」ルビーよりも赤くすきとおり
水晶:「この砂はみんな水晶だ。中で小さな火が燃えてゐる。」
銀河鉄道の夜「町の外れの天気輪の柱のある丘」はこんな場所だったかもしれない (岩手県奥州市種山高原)
富山と岩手 〜古くからのご縁〜
NICの会社がある富山県と今回訪れた岩手県は、東西に500kmほど遠く離れていますが、実は「古くからのご縁」があるのです。
そのご縁とは、「古い地質」です。
前回の「第25話 富山県のお国自慢 〜自慢しないお国自慢~」で触れたように、富山県の南部の山岳部は、新潟県西部から福井県まで続く古い地質「手取層群(てとりそうぐん)」が分布しています。これは恐竜が歩き回っていた「中生代」の地質です。
一方、岩手県東部の縦に長い大きな山体「北上山地」のうち、特に「南部北上山地」は、それよりさらに古い「古生代」の地質です。
これらは、遠い昔に南の方で形成された地質が、ズンズンと大陸の方へ移動して、いったんは大陸と合体、その後、大陸から離れて今の日本列島の位置まで移動してきました。
その意味で、富山県と岩手県は「とても古くからの親戚」ともいえるご縁なのです。
富山と岩手は古くからのご縁
気仙沼岩井崎の海岸
古生代の化石がたくさん見られる
黄金の国、吉里吉里国、中尊寺の金色堂、釜石の鉄鋼産業 〜北上山地の「古い地層」に由来する鉱物資源〜
「吉里吉里人(きりきりじん)」は、戯曲作家、井上ひさしさんの長編小説です。
この小説は、宮城県の北部、あるいは岩手県の南部の地方を舞台にした「黄金の国:吉里吉里国の独立」をめぐる1日半の一部始終を描いたドタバタ劇です。
とても面白く、考えさせられることも多いので、ぜひおすすめしたいのですが、この小説以外にも、この地方では平泉「中尊寺の金色堂」など、黄金が産出することを元にした文化が栄えました。
「釜石の鉄鋼産業」は、北上山地から産出する「鉄鋼石」を原料にして栄えました。
宮沢賢治が勤めた「東北砕石工場」は、工場の裏山から産出する「石灰岩」を砕いて、石灰を出荷していました。
これらの鉱物資源は、いずれも、北上山地の「古い地層」に由来するものです。
吉里吉里の駅
吉里吉里の砂浜 吉里吉里の由来は、歩くとキリキリ音がするが一つの説
七夕まつり 〜七夕まつりとお盆、そして、ほんとうのみんなのさいわいとは〜
この季節、仙台をはじめ、各地で「七夕まつり」が開かれます。
私は、七夕の飾りを見ると、「銀河鉄道の夜」で、ジョバンニとカムパネルラたちが訪れた「銀河のお祭り(ケンタウル祭)」を思い出します。
七夕まつりは、天の川で隔てられた、織姫(おりひめ)と、彦星(ひこぼし)が一年に一度、天の川を渡って会える日として物語られますが、同じ時期に催される「お盆」(あの世とこの世を結びつけるもの)と関連して、物語られてもよいのではないかと思います。
二人は銀河鉄道に乗って、天の川に沿って幻想の旅をして、カムパネルラはあの世に残り、ジョバンニはこの世に戻ってきました。
そこで語られた「ほんとうのみんなのさいわい」とは何なのでしょうか。
「旧東北砕石工場」の博物館で知った、宮沢賢治と鈴木東蔵の生き方は、最後までそれを目指したものだったのではないかと、七夕の飾りを見ながら思いました。
今日のお話はここまでです。
また、お会いしましょう。
七夕飾り(仙台市博物館)仙台七夕祭りは8月6日から