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アルファ博士の気ままにトーク♪ 第15話【富山紹介第2弾】ホタルイカと岩石のふるさと ~その不思議な生態、まだ成長中の立山連峰~

公開日時:2024/05/28

富山のご紹介第2弾!

みなさん、こんにちは。アルファ博士です。

 

先月ご紹介した「富山市立図書館」に引き続き、今回も富山に関係する話題です。
「富山のご紹介第2弾」として、ホタルイカと立山連峰、そしてそれらの情報の宝庫である3つの博物館を紹介したいと思います。

 

富山といえば、ホタルイカ

3月1日に解禁になった「ホタルいか漁」は3月~4月が旬。今年(2024年)の春は、富山湾でホタルイカが豊漁です。


富山市内のスーパーの魚売り場には、安くて新鮮なホタルイカのパックが山積みになっていました。


私のよく行くスーパーには、「地物朝どれ(生そのまま山盛り)」「地物朝どれ刺身」「ボイル(酢味噌付き)」の3種類を売っていました。


「地物朝どれ」は、地元の漁港で朝水揚げしたものをスーパーマーケットに直送して、パック詰め、あるいはワタなどを取り除いて刺身として販売しているものです。


朝どれの生や刺身が売っているのは、地元で獲れたホタルイカが近くの漁港でたくさん水揚げされる富山ならではのものでしょうね

地物朝どれホタルイカの刺身

富山にしかない“特別天然記念物”

ホタルイカは他の地方でも漁獲されますが、世界で富山にしかないものがあります。それは、特別天然記念物「ホタルイカ群遊海面」です。


「群遊海面」とは何かというと、毎年3~4月頃、数十万匹のホタルイカが一群となって海岸近くまで押し寄せることで、これは世界でも他に見られない富山湾特有の現象だそうです。


「特別天然記念物」というのは、国が指定する「世界的に見ても特に価値が高い」天然記念物のこと。例えば、動物では鳥のライチョウ、タンチョウ、トキ、植物では屋久島スギ原始林など、全部で75種類が指定されています。

 

その中の1つが富山湾の「ホタルイカ群遊海面」で、富山市~滑川市~魚津市にかけての沿岸15km、沖合1260mまでの海面が指定されているのです。


ここで指定されているのは「ホタルイカ」ではなくて、あくまでも「ホタルイカが群遊する海面」であることに注目です!


ホタルイカのことを詳しく知りたいと思い、先日、滑川市にある「ほたるいかミュージアム」を訪問しました。

ほたるいかミュージアム

ホタルイカ群遊海面(ほたるいかミュージアム説明板より

ホタルイカの短い一生 産卵後に岸に押し寄せる不思議

ここ「ほたるいかミュージアム」では、ホタルイカに関する、生態、発光の仕組み、漁獲の方法や歴史などなどを知ることができます。「ふれあいコーナー」や「発光ライブショー」では、ホタルイカが活発に活動する様子を目の当たりにすることができました。

 

ホタルイカの産卵期は春から初夏(3~5月)にかけて。交接を終えたオスは「行方不明」となるそうですが(泣)、産卵期を迎えたメスは深い海の中から水深200メートルあたりのところに集まり、夜間になるとさらに浮上し、岸に近いところ、あるいは岸の上まで上がってきて、卵を産むそうです。

1回に約2000個の卵を5回ほどに分けて産むために、海の中を往復し、産卵を終えたホタルイカは一生を終える・・・とのことでした。

そして、富山湾のホタルイカの定置網は、浅瀬に開口を岸に向けて設置して、浅瀬での産卵から沖へ戻る途中のホタルイカを捕らえる仕組みになっています。そのため富山湾の定置網で捕獲されるホタルイカは、99.9%がメスなのだとか。ただ、なぜ産卵後のメスが岸の方に上がってくるのか? その理由はよくわかっていないそうです。

 

ホタルイカの一生についての研究によると、ふ化するのに2週間、その後日本海を山陰沖から秋田沖まで1年かけて回遊する、という説が有力で、その一部が富山湾に入ってくるらしい、とのことでした。

たった数センチメートルほどの小さな体で、そのような広い海域を1年かけて回遊して一生を終えるというのは、まさに生き物の不思議ですね。


ちなみに「ほたる」の名前の通り、ホタルイカは腕先など、体の各所に発光器を持っています。特に、産卵期に岸に上がってくる時の発光は特別な光景です。


ミュージアムでの「発光ライブショー」では、真っ暗な部屋の中で、係の人が網で少し刺激を与えると、1分ほど青白く光っていました。
その光は「ホタル」の名前から想像していたよりも、ずいぶんと明るいものでした。

ホタルイカの生態の不思議(ほたるいかミュージアムの説明板より)

立山連峰と常願寺川 ~これは川ではなくて滝~

ホタルイカが群遊する富山湾の目の前にそびえ立つのが、立山連峰です。実はここ、「深い海と高い山脈が隣接している、世界でも珍しい場所」なのです。

 

富山湾は深さが1,200m、立山は高さが3,000mあるので、その差は4,200m!!! とても急峻な地形です。


この急峻な高低差を流れ下るのが常願寺川(じょうがんじがわ)です。その急な流れは、明治時代に河川改修を指導した「ヨハネス・デ・レーケ」が「これは川ではなくて滝」と言ったほどです。

富山湾から見る立山連峰

下の写真は、NICの拠点「立山第2工場」の近くの道から、昼休みに撮ったものです。

「立山町(たてやままち)」に立地する、立山第1、第2、第3工場、どの工場からも、このように立山連峰を間近に望むことができます。


工場が立地する海に近い平地から、この立山の頂上、そして山の向こう側、黒部第4ダム、ダム湖の向こう側の山頂までが「立山町」なのです。すごいでしょう。

 

そして、ここを流れる「常願寺川」は、立山から流れ下った「称名川(しょうみょうがわ)」と合流して、源流から日本海まで、約3,000mの標高差を約50kmの短い距離で流れ下ります。


称名川、そして常願寺川では、時折、大雨や地震によって生じた洪水や土石流が、立山を源流として富山湾まで流れ下りました。川の堤防近くには、大きな土石流によって流されてきた大岩が今も残されています。

 

間近に見える立山連峰

常願寺川の西大森の大岩 高さ7.2m、周囲32.4m、写真に見えているのは一部分で、大部分は堤防の中に埋まっている

常願寺川という名前は、昔から急流の「あばれ川」(川ではなく「滝」ですからね)が氾濫せず、常に無事でありますようにという願いを込めて付けられたともいわれています。

 

いつの世も、自然の恵みは自然の脅威と背中合わせ。洪水を防止することは人々の願いだったのでしょう。記録によれば堤防構築などの河川改修が、古くは飛鳥時代、富山の恩人とも称される戦国時代の武将「佐々成政(さっさなりまさ)による佐々堤、そして現在に至るまで、連綿と継続されてきました。


その河川改修の工法も、その時代ごとに新たな技術が開発され、総動員されてきました。その先達の努力の結晶が今の常願寺川なのです。

 

立山町や富山市は、主にこの常願寺川を水源とした水道を使っています。この水が、冷たくておいしいのです!

 

「自分の地域がおいしいと思う水道水」という調査(パナソニック調べ)があるそうですが、富山県は日本第2位です(第1位は鳥取県、鳥取は大山がありますね!)。

 

それは年間を通して水温が低く、不純物が少なく、その分、加える消毒用塩素が少なく、また山からのミネラルをほどよく含む(富山市水道局によれば硬度31.2mg)ためと考えられます。

立山連峰はまだ成長中

ちなみに、立山連峰は、現在も成長中で、GPSの観測によれば、1年間に数mmずつ高くなっているとのこと。


雨や雪や氷によって浸食もされるので、そのまま積算して高くなっているわけではないと思いますが、仮に1万年間、同じように隆起が続けば、数万mm(メートルにすれば数十m)、10万年で数百m、100万年で数千m、の割合となり、これは大きな隆起と言えます。

 


隆起の原因は、日本列島が東と西から力を受けていて、この力によって東西から押された真ん中の部分が、座屈するように盛り上がっているとのこと。


これら立山のことを詳しく知りたいと思い、先日「富山市科学博物館」と「富山県立山カルデラ砂防博物館」を訪れました。

富山市科学博物館  ~富山はかつて大陸だった?〜

富山市科学博物館

まずは「富山市科学博物館」からご案内しましょう。

 

広い館内の1階は主に富山の地質、岩石、地形について(今日はここが主目的です!)、2階は自然環境、動物や植物、自然にねざした人のなりわい、科学実験、そして3階は、宇宙、プラネタリウムになっています。

 

1階の地質、岩石、地形の富山の歴史のコーナーでは、大変わかりやすく、富山の地質や地形のなりたちを知ることができました。


下の写真の説明パネルを見てください。「大陸だった富山」とあります。これは日本列島が大陸から分離したためで、富山の南部にはその大陸時代の地質や化石が見られます。

わかってきた富山の大地の歴史 ~大陸だった富山~(富山市科学博物館)

そして、立山の“でき方”の説明がありました。

立山は古い花こう岩が押し上げられて出来た

立山は「古い花こう岩や片麻岩」が押し上げられて出来たとのこと。
常願寺川の河原で、花こう岩や片麻岩の小石がたくさん見られるのは、そのためなのですね。

常願寺川中流の河川敷から立山を望む

立山カルデラ砂防博物館 ~立山カルデラの自然と、土砂災害防止~

お次は「富山県立山カルデラ砂防博物館」です。

 

皆さん、「立山黒部アルペンルート」をご存知でしょうか。

 

ニュースなどで雪の高い壁の谷間を高原バスが通過する様子をご覧になったことがあるかと思いますが、冬の間深い雪に閉ざされてい道路が除雪されて、真っ白に輝く見事な雪の壁(雪の大谷!)の間を走る山岳交通ルートです。

今年も4月15日から開通され、11月30日までここでしか味わえない景色を楽しむことができます。

 

さて、そんな立山黒部アルペンルートの富山側の登り口、立山ケーブルの立山駅のすぐ隣にあるのが、立山カルデラ砂防博物館です。

 

この博物館は、立山の南西に広がる「立山カルデラ」の自然と、土石流を防止するための砂防を紹介する目的で設立されました。

 

立山アルペンルートのある高原「弥陀ヶ原(みだがはら)」の南西部は、深いカルデラ(くぼ地)となっています。


「カルデラ」というと、阿蘇山の巨大なカルデラや箱根山が有名ですが、これら火山が噴火後に陥没して出来たもの。これに対して立山カルデラは、火山の崩壊と浸食によって出来たとされています。

 

富山県の東の平野は、立山から流れ出る岩や砂が堆積した扇状地で、立山カルデラから流れ下る土石流は、歴史的に大きな災害を下流にもたらしてきました。


その災害を防止するため、立山カルデラでの砂防は、明治以降、現代にいたるまで100年以上にわたって継続されてきました。

その砂防工事の物資と作業者を運ぶために大正時代に設置された「砂防トロッコ」が、現在も活躍しています。

 

また、ここでも常願寺川の土石流や洪水、災害を防ぐための河川改修の歴史と工法が、詳しく説明されていました。読めば読むほど、多くの方々の長年の努力によって富山の安全が保たれていることが、心に染み渡りました。

立山カルデラ砂防博物館

立山黒部アルペンルート 除雪された「雪の大谷」今年2024年4月29日、この日は12m、開通時は14m)

砂防トロッコの軌道と常願寺川上流

今回のお話は以上です。

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