アルファ博士の気ままにトーク♪ 第7話 まるで秘密基地のような地下博物館『ヤマザキマザック工作機械博物館』

公開日時:2023/09/27

みなさん、こんにちは! アルファ博士です。

今回は、岐阜県美濃加茂市にある、『ヤマザキマザック工作機械博物館』のお話です。

 

先月紹介した「トヨタ産業技術記念館」は、古くからのお気に入りの博物館ですが、この『ヤマザキマザック工作機械博物館』は、昨年の夏、初めて訪れて以来、大好きな場所になりました。

 

先人が切り開いてきた工作機械の歴史の歩みと、貴重なコレクションは感銘の連続。 今度は一つ一つじっくり見たいと、1年ぶりに再訪問しました。

 

改めて感動した広くて奥深い工作機械の世界と歴史を、皆さまと共有したいと思います。

『ヤマザキマザック工作機械博物館』~機械を作る機械、工作機械は産業の母!~

みなさん、「工作機械」というと、どんな機械を思い浮かべますか?

 

穴を開ける「ボール盤」、材料を回しながら円筒形に削る「旋盤」、面を削る「フライス盤」などが代表的な工作機械だと思います。

 

それらは「機械を作る機械」として私たちの身の回りにあるあらゆる製品の製造に関わることから、「マザーマシン」、「産業の母」と言われています。


そんな「お母さん的な存在」でありながらも、工作機械は主に工場内で生産設備として用いられているため、日常的にはほとんどお目にかかれません。

よって、一般的には馴染みが薄く、あまり知られていないのが現状です。

 

そこで、長年工作機械を通じて世界中のモノづくりの発展に携わってきたヤマザキマザックが

 

世界のモノづくり」を支える大変重要な役割を担っている工作機械を沢山に人に知ってもらいたい!


これからのモノづくりを担う次世代、また次の世代に伝え、関心を持ってもらいたい!

 

という思いで、建てられたのが今回ご紹介する『ヤマザキマザック工作機械博物館』です。

 

ちょうど創業100年にあたる、2019年11月に開館されました。

 

入る前からワクワクする秘密基地感が満載♪

ヤマザキマザック工作機械博物館は、緑豊かな小高い丘にあり、周囲には広い公園や、テニスコート、野球場などもあります。

広い駐車場の一角にポツンと現れる三角のピラミッド。

 

写真を見てお分かりになるように、なんとその姿はガラス張りのピラミッド! ここが博物館の入口で、博物館は地下にあります。

 

空調エネルギーの節約や、周辺の景観、環境の保全を考え、年間を通して温度が一定する地下博物館としたそうです。

 

パリのルーブル美術館のような入口といい、秘密基地のような地下博物館といい

入る前からワクワクしますね!

 

ガラスのピラミッド

ちなみにヤマザキマザックは2010年、名古屋市内に「ヤマザキマザック美術館」を開設して、フランスの絵画を中心とした美術品を公開しています。

 

美術・芸術への造詣が深く、この工作機械博物館と合わせ、社会貢献事業を展開しているのです。

 

そう考えると、ガラスのピラミッドは、ルーブル美術館と関連がありそうですね(ワクワク)。

 

それでは、エレベータで地下の展示エリアへ行ってみましょう!!

ヤマザキマザックとブラザー工業

地下2階に降りると、最初に目に飛び込んできたのは「山崎鉄工所製 ベルト掛け山崎旋盤」です。

 

何とも言えない各部のバランス、全体の安定感、脚部の機能的な曲線に、しばらくの間見入ってしまいました。

 

これは、1927年(昭和2年)に現在のブラザー工業(当時の安井ミシン兄弟商会)から受注して、ヤマザキマザックの前身「山崎鉄工所」が製作して販売した最初の工作機械で、産業遺産学会から2021年に「推薦産業遺産」にも登録されている、貴重な機械です。

 

名古屋の熱田の地から飛躍して、世界的なメーカーとなったヤマザキマザックとブラザー工業。

どちらも非常に興味深く、多方面に挑戦して大きく発展したブラザー工業の挑戦の過程を学びたいと思って、先日、ブラザー工業の「ブラザーミュージアム」を訪問しました。

 

こちらの方も、後日、ぜひ紹介したいと思います。

 

ベルト掛け山崎旋盤

工作機械の歴史年表

博物館の展示は、工作機械の歴史、それも大昔の歴史から始まります。

壁一面に掲げられている歴史の年表は、何と、約200万年前!
人類が「道具」を使い始めた時から描かれています。

200年でもすごいのに、「200万年前」ですからね。

 

改めて拝見するに、道具の歴史は人類の歴史そのもの。


工作機械は、その「道具をつくるための道具」ということなのですね。

 

記録に残る最初の工作機械は、紀元前740年のエジプトの壁画に絵が刻まれている「手押し穴あけ機」です。

 

棒の両端にロープを固定した弓のような道具を手で前後に動かして、ドリルを回転させて、穴を開ける道具で、英語では「Hand Bow Drill」(手弓ドリル)と言います。英語の方が実際の機構をよく表していますね。

 

そして、紀元前3世紀頃のエジプトのレリーフには、やはりロープを巻き付けて回転させて、外周を削る、旋盤に似た道具の絵が刻まれています。

巻き付けたロープを往復して回転させる機構は、その後、近代までずっと使われてきたようです。

レオナルド・ダビンチの工作機械

中世には、手に持って使う道具の進歩があったようですが、本格的な工作機械が記録に登場するのは『ルネサンス』時代。

あの有名な、モナリザを描いたイタリアの「レオナルド・ダ・ヴィンチ」のスケッチです。

 

ダ・ヴィンチはさまざまな機械を発明して、多くのスケッチを残していますが、そのスケッチの中に、その後の工作機械のお手本になるような機械が、2つ出てきます。

 

ひとつは「足踏みクランクで回す旋盤」。
もうひとつは「ネジ切り装置」。

この博物館では「ネジ切り装置」をレオナルド・ダ・ビンチのスケッチを元に製作して、展示しています。

 

足で踏んで回すクランク機構は、蒸気機関や電動モーターが普及するまで、工作機械にはなくてはならないものでした。

昔の「ミシン」も、足で踏んで回していましたよね(といっても若い人は知らないかなあ~笑)まさに「あの」機構です。

 

レオナルド・ダ・ビンチは、何と、ネジを作るための機械「世界初のネジ切り旋盤」も発明していました。

それまでネジは木の棒をタガネやヤスリを使って、手作業で削って作っていましたが、ダ・ビンチが発明した装置は、親ネジで刃物を送りながら、棒にネジを切っていく画期的なものでした。

さらにこのネジ切り旋盤は、歯車を交換することで、ネジのピッチが変えられる優れものです。

 

さて、レオナルド・ダ・ビンチの多くの発明品の中に、空飛ぶ「ヘリコプター」があったことをご存知でしょうか。彼が発明したヘリコプターは、空気の中で「ネジのような羽」を回すことで、空に浮上する機械だったのです!!!

 

ANA(全日空)の昔のロゴマークはこのネジのような羽のヘリコプターの絵だったこと思い出しました。ここに画像を載せることはできませんので、ぜひ検索してみてください。ご存知の方は懐かしさと共に、ダ・ビンチの功績を改めて味わうことができるでしょう。

 

 

ネジの話に戻りますが、7月号で紹介した「科学道100冊」には、「ねじとねじ回し」の本がリストされていました。副題は「この千年で最高の発明」です。

この本を読むと、ネジと工作機械は非常に関係が深いことがわかります。

精密なネジを作るのには精密な工作機械が必要だったし、精密な工作機械を作るには精密なネジが必要だったのですね。

レオナルド・ダ・ビンチの『ネジ切り装置』

金属で金属を削る!

古代は「削るもの(被削材)」は主に木材で、「削る道具(刃物など)」は主に石器でした。

日本の勾玉(まがたま)は、ヒスイ、メノウ、水晶などを砥石で磨いて作っていました。

 

中世に入ると、手作業で青銅などの柔らかい金属を、鉄などの硬い金属で削ることはあったようですが、産業革命の頃から本格的に「鉄を鉄の刃物で削る」ことが始まります。

 

金属を金属で削ることをどこの誰がいつ始めたか?
今回調べてみたのですが、残念ながらはっきりしたことはわかりませんでした。

 

また、日本では、古代から刀剣の焼き入れを行っていて、硬い鋼(はがね)を作る技術が伝承されてきましたが、西欧の硬い鉄を作る、鋼の焼き入れの技術は、近代になるまで確立していなかったようです。


この博物館の大きな年表によれば、高炉で作られた銑鉄を硬度の高い炭素鋼を使って削る切削は、1800年頃から始まったようです。

工作機械発展の6つの要素

この博物館で展示されている工作機械の発展の要素を整理すると、下記の6つになると思います。

 

1.加工精度の向上、精度の標準化による互換性確保(基準面と送りねじの精度アップ、工作機械の剛性アップ)


2.大型化(加工する物のサイズアップ)


3.動力の変革
 (足踏みなどの人力から、蒸気機関による集中駆動源からのベルト駆動、そして電動モーターの直付けへ)


4.加工速度の向上(硬い刃物材料の開発、工作機械の剛性アップ)


5.複雑な形状の加工(精密かつ高速で加工:傘歯歯車の加工など)


6.自動化、制御技術(手作業から、パンチカード、コンピュータ制御へ)

 

どの項目も工作機械の発展には大変重要です。

この博物館では、実機を展示しながら、そのすべてを説明しているのですが、今回は特に1の「加工精度の向上」で、感銘を受けた内容を紹介したいと思います。

「工作機械の父」ヘンリー・モーズレイ

工作機械の歴史コーナーを進むと、突き当りに「工作機械の父 ヘンリー・モーズレイ」を紹介するコーナーがあります。

 

「音楽の父」といえばバッハですが、工作機械にも父が居たとは知りませんでした。

 

工作機械の基本的な原理と構成は、イギリスの技術者「ヘンリー・モーズレイ」(1771~)によって確立されたのですね。

 

モーズレイの功績は3つあります。

 

1つ目は、「基準定盤」です。

精密な工作機械は、まず基準となる平面「基準定盤」が必要で、それを作る方法「三面擦り合わせ」が紹介されています。

この基準定盤を使って摺り合わせ加工仕上げをした精密な三角形のベッド摺動面、これで刃物が正確な位置に移動できます。

 

2つ目は、「正確で精密なねじ」です。

この正確精密な親ねじによって、刃物は正確な位置、正確なピッチに移動します。

1/10000インチ(約3ミクロン)単位で計測できるベンチマイクロメーターも、精密なネジによって実現されました。

 

3つ目は、目盛りをつけたダイヤル付きの刃物台です。

この目盛りによって、切り込み量を正確に設定できるようになりました。

 

このコーナーでは、これら3つの要素が盛り込まれた「モーズレイのネジ切り旋盤」によって、初めて「互換性のあるネジ」が作れるようになりました。

『モーズレイのネジ切り旋盤』のレプリカ

ウィルキンソンの中ぐり盤

今まで意識したことがありませんでしたが、今回見学してよくわかったのが、「正確な穴を仕上げること」が、非常に重要なことだということです。

 

当時、大砲の穴や蒸気シリンダー、ポンプの穴については、より正確な穴が必要だったようですが、昔は、このような大きくて長い穴を正確な寸法で仕上げるのは難しくて、その正確さ(不正確さ!)はなんと数十mmだったとのこと。

 

あの蒸気機関を発明した「ワット」は、ピストンが往復する蒸気シリンダーの円筒を正確に作ることができなくて、苦労していたと、説明にありました。

 

ワットは、蒸気がピストンの回りから漏れないように、ピストンに布など、いろいろなものを巻いたそうです。子どもの水鉄砲のようですね。


なぜ、正確な穴があけられなかったかというと、穴を削る刃物を支えている棒が、片持ち支持だったことがひとつ。そして、刃物やワークの送り機構がガタガタだったため、刃物が逃げてしまったり、正確に当てられなかったためです。

 

この問題を解決したのが、ウィルキンソンでした。彼は、ワークは固定したまま、両持ち支持した回転刃物をキー溝で正確に送る機構を発明し、これによって正確な穴を仕上げる機械を実現しました。

 

このウィルキンソンの中ぐり盤の発明で、大砲、蒸気機関、排水ポンプの性能が飛躍的に向上し、産業革命に、工作機械の進歩が重要な役割を果たしていたことがよくわかりました。

寸法精度の標準化による互換性確保

現代の機械では、部品に互換性がある(交換できる)が当たり前のことになっています。

 

例えば「ネジ」ですが、昔のネジとネジ穴は職人の手作りで、1個のネジ穴には特定のネジしか合わず、ネジを外した時は、そのネジがどこのネジ穴に入っていたかを記録して保管する必要がありました。

これを互換性のあるようにするには、ネジもネジ穴も、決められた寸法の範囲に入っていることが必要になります。

これが、精度の標準化による互換性確保という項目です。

ネジに限らず、昔の機械の部品は、その機械の特定の場所にしか使えないもので、他の機械に使えるかどうかは、やってみないとわからない。使えるとしても、あちらこちらを削って合うように加工したり、調整したりしないと使えないものでした。

 

全く当たり前ではなかった事を、昔の技術者が苦労して、部品精度、品質管理、製造工程を革新して実現にしたということが、この博物館でわかりました。

 

また、「部品に互換性がある」というのは、モノを量産するためには非常に重要で、この互換性によって現代の量産技術の基礎が確立し、その基礎を支えているのが工作機械の加工精度の向上だったということも、今回の見学で学ぶことができました。

 

この部品の互換性確保は、アメリカの南北戦争時代の鉄砲の部品から始まって、T型フォード(1908年発売)の量産で本格的に発展しました。

アメリカで、工業製品の量産時代の幕が上がったのです。

それ以降、量産技術、品質管理技術は、アメリカが世界をリードしていきます。

 

この博物館にはT型フォードを始めとして、工作機械の進歩によって作り出された工業製品も合わせて展示されています。

T型フォード

アメリカの工業力

先進的なアメリカの工作機械、特に複雑で高精度な歯車を効率的に切削する機械をひとつご紹介しましょう。

1914年(大正3年)頃、アメリカのグリーソン社が製作した「かさ歯の歯切り盤」の複雑な機構と頑丈な構造は圧倒的です。

 

これらの複雑で頑丈なアメリカの工作機械を見ると、当時のアメリカの機械技術と総合的な工業力が、非常に高かったことを実感します。

グリーソン社の「かさ歯の歯切り盤」

おっと、いけない!

ヤマザキマザックの技術者の方から詳しい説明をうかがいながら、夢中で見学していたらあっという間に3時間が経過していました。

10時に入館したのに、もう13時。どうりでお腹も空くはずです(笑)

 

今日はここまでにして、この近く清流長良川の名物「あゆの塩焼き」など食べてひと休みしたいと思います。

 

この続きは「機械を作る機械」工作機械博物館に訪問する機会を作って、その感動を語りたいと思います。

 

キカイだけにキカイを作る!(よっ!座布団一枚!)

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