アルファ博士の気ままにトーク♪ 第9話 ブラザーミュージアム訪問 ~失敗は成功のもと、チャレンジは続く!~
公開日時:2023/11/29
ブラザー工業の「チャレンジスピリッツ」に触れる
どの会社でも創業はもちろんのこと、その継続、発展には、さまざまなチャレンジがなされてきたと思います。
「チャレンジ」という言葉を改めて辞書で調べると、「未経験の新しいことに挑戦すること 、困難な問題の取り組みに挑戦すること」というように書かれています。
実際の取り組みは、簡単な言葉などでは言い表せないほど、非常に大変なことだと思いますが、その「大変なチャレンジ」を創業からたゆまず継続し、世界的な会社に発展したのが、ブラザー工業です。
今回は、そのチャレンジスピリッツに触れたいと思い、ブラザー工業のミュージアムを訪問しましたので、皆さんに紹介いたします。
ブラザーといえば
ブラザーといえば「ミシン」を思い浮かべるのは、私も含め、ある程度以上の年齢の人でしょうか。皆さんはどうですか?
思い起こせば小学校6年の家庭科実習で、ミシンを使って手提げ袋を作った思い出があります。たぶん、2時間か3時間の授業だったと思いますが、ボビンに下糸を巻いたり、針の先端の穴に糸通したり、上糸と下糸のバランスを調整したり、足踏みのスピードを調節しながら、曲がらずに真っすぐに縫うのに苦労したーーー当時の記憶がよみがえってきます。
その頃は、家にもミシンがありました。母が学校で使う雑巾などを縫ってくれるのを横で見ていました。懐かしい思い出です。
現在のブラザーといえば、どうでしょうか? 私は、真っ先に「プリンター」をイメージします。
年賀状や、スマホで撮った写真をきれいに印刷する家庭用プリンターです。以前、ファックス機能が付いた複合機を使っていました。
そして、産業機械の分野では、ギアモーターの「ニッセイ」で、日ごろ大変お世話になっています。
また、工作機械の「SPEEDIO」は、その名前が表す高速加工能力、多様な加工ができる、コンパクトで使いやすいマシニングセンターです。
ミシンから、プリンター、モーター、そして工作機械へと、どのような過程で会社が発展したのだろうか? そのチャレンジ精神に触れてみたい!
そのようなことを考えながら、秋のある日、名古屋市の熱田神宮にもほど近い「ブラザーミュージアム」を訪問しました。
いざ、ブラザーミュージアムへ!
名鉄堀田(ほりた)駅から、大通りを南方向に徒歩2分歩くと、右手に緑に囲まれた建物が見えてきました。
カーブを描いた小道からミュージアムの玄関に入っていきます。
このカーブは、建物の外観につながっていて、デザインが凝らされています。
あとで分かったのですが、このカーブは、ブラザーの「あるもの」に由来したデザインなのです。
玄関を入り左手の受付で、ホームページで予約をしていることを伝えます。
この受付前のロビーからは、先ほど通りから見た建物を囲む樹木の緑を大きなガラス越しに見ることができます。
さて、これから、何を見られるか? ワクワクしながらロビーを進んでいきました。
特別なオルゴールに遭遇
ロビーを進んで、まず出合ったのが「オルゴール」でした。名前は、Primotone(プリモトーン)。
オルゴールといえば、フタを開けると美しい音楽が、気持ちよい音色で響く、宝石箱を思い出しますね。聞こえてくる音色(ねいろ)は、まさに、低音から高音までバランス良く響き、ずっと聴いていたくなります。
でも、なぜブラザーがオルゴールなのか?
実は、このオルゴール、普通のオルゴールとは全く仕組みが違うのです。
300曲以上の楽曲を選んで鑑賞できる特別なムーブメント機構、
そして「癒しの音色528Hz」の波長を含む気持ちよい響き、
さらにはマホガニー製の筐体など特別な趣向が凝らされ、
それが最新の高度な技術で実現されたオルゴールなのです。
このあとの展示をじっくり見た後で理解できたのですが、これらの趣向や高度な技術による製品は、まさに「ブラザーならでは」のものだったのです!
ブラザーの技術と製品の歴史
「ヒストリーゾーン」に足を進めると、壁一面の大きな歴史年表が目に入ります。これは、まさに、ブラザーのチャレンジによる発展の過程を表したものだといえます。
縦に「コア・テクノロジー」と「製品カテゴリー」、横に1920年代から現在におよぶ会社発展の過程が示されています。
会社発展の歴史は、各時代に特徴となる名前が付けられています。
それでは、年代ごとにご紹介していきましょう。
- 1928~ ミシン専業の時代(麦わら帽子製造用環縫ミシン、家庭用ミシン~)
- 1950頃~ メカ技術による多角化の時代(電気洗濯機、オートバイ、タイプライター)
- 1970頃~ メカトロニクスの時代(ドットプリンター、電卓、ワープロ~)
- 1985頃~ ネットワーク・コンテンツの時代(ソフトウェア自販機、通信カラオケ~)
新しいマーケットを創り出した製品の数々
続いては、ブラザーが世に送り出した数々の製品をご紹介しましょう。いずれも新しい分野へ挑戦して生み出された、エポックメーキングな製品ばかり。新しいマーケットと時代を切り開きました。
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- 1932年 国産家庭用ミシン1号機(15種70型)
- 1961年 欧文ポータブルタイプライター(JP1-111)
- 1985年 工作機械 CNCタッピングセンター(TC-211)
- 1995年 ファックス・プリンター・コピー モノクロレーザー複合機 (MFC-4500ML)
- 1986年 パソコンソフト自動販売機(TAKERU)
- 1992年 通信カラオケシステム(JOYSOUND)
- 2005年 産業用ガーメントプリンター(GT-541)
失敗は成功のもと
ヒストリーゾーンで、これらのエポックメーキングな製品とその説明をひとつひとつ見ていきます。
ひとつひとつに深くて長いストーリーがあり、このコーナーで全てを紹介しきれるものではありませんが、どの製品も従来の技術を元に、新しいカテゴリーに挑戦して、切り開いてきたことが分かります。
例えば、家庭用編機(友達の家にありました)、オートバイ「ダーリン号」(名前がユニーク)、通信カラオケ「 JOY SOUND」、衣類へプリントする「ガーメントプリンター」などなどです。
中でも私が非常に興味を持った製品は、「セントロニクス社と共同で開発して量産化に成功した」高速ドットインパクトプリンターM101 (1971年)です。
ある一定以上の世代の方は「セントロニクスインターフェース仕様(双方向パラレルポート)のコネクタ」をご存じでしょう。
ひと昔前のプリンターやパソコンは、みな、このコネクターを持っていました。元々は、このプリンターのために開発されたコネクターでしたが、のちにこのコネクターは業界標準となりました。
懐かしのゴルフボール印字方式電動タイプライター
次は、「ゴルフボール印字方式電動タイプライター」です。
学校で、秘書さんが使っていた、なつかしい記憶がよみがえりました。電源を入れると、わずかに「ジー」という音がしていて、軽くキーボードを押すと、「タッ」と短い音がして、アルファベットが紙に明瞭に印字されます。
どんなに速い速度で連続してキーボードを押していっても、キーがジャミングするようなことはありません。
その時の音は、「タッ、タララ、タラララ、タッ、タラララララララ・・・・」といった感じでしょうか。
また「ゴルフボール」を交換すると、違ったフォントの文字が打てるのも「すごいなあ」と思った記憶があります。
ブラザーのタイプライターは、鮮明に印字するために、「コイニングプレス加工」という製造方法を開発して、「角の立った」活字を実現しています。
これは、木型に水で練った米粉を押し込んで作る「ヒナモチ」を作る方法(タイヤキの型のよう)からヒントを得たとのことです。
また、いったんは販売が振るわず収束。「失敗」の烙印を押された製品や、その製品の開発で培われた技術を活用し、新たな別の製品作りに挑戦して、苦労の末「成功」した例も紹介されています。
例えば、1986年のパソコンソフト自動販売機の「TAKERU」。これは、ISDN回線を利用して、店舗でフロッピーディスクにダウンロードできる「ソフトの自動販売機」で、当時、高速の通信回線を利用した新しい技術であり、ビジネスモデルでした。
そころが、当時としては斬新すぎたためか、時期尚早ということで、残念ながらビジネスとしては成功しなかったそうです。
でも、そこで諦めるブラザーではありません。この技術が後の「業務用通信カラオケシステム」の開発と市場開拓の礎となったのでした。ドラマですねぇ〜。
ミシンの歴史に迫る
続いては「ミシンゾーン」。ここは、深く、広く、美しいミシンの世界が広がります。
「ミシンの黎明期、ミシンのはじまり」のコーナーでは、当時のミシンの精巧なレプリカや貴重な実物が展示されていて、その創成期の苦労の過程を知ることができました。
自動的に布を糸で縫う機械は、産業革命の頃からイギリス、そしてアメリカの発明家や事業家が、長い間苦労を重ねて進化してきたことがわかります。
いずれも簡単には実現せず、さまざまな機構が発明されていきました。そして、実際に製作して量産するために、精密な機構部品の加工技術や製造技術が進んで、少しずつ実用的なものが実現してきました。
現代のミシンの原型となったのが、1851年、アメリカのシンガー社が開発した「ナンバーワン」というミシンで、米国の特許を初めて取得しました。
その翌年、1852年に発売されたシンガー社の「ナンバーワン、スタンダード」は、1880年までに数十万台が販売されたそうです。
1852年~1880年といえば、日本では、江戸末期の黒船来航~明治初期の鹿鳴館建設の頃にあたります。アメリカでは工業が急速に発展した時代でもありました。
先日見学した「ヤマザキマザック工作機械博物館」で印象的だったアメリカの工作機械の初期の発展時期と重なります。
壮観な「ミシンの壁」
コーナーを進んでいくと、吹き抜けになっている場所に行き当たります。ここはまさに「ミシンの壁」! ブラザーが歩んできたミシンの歴史であり、そしてミシンの発展を如実に物語る「リアルな年表」となっているのです。
黎明期、創成期の歴史的なイギリスやアメリカのミシンから、コンピュータ制御のミシンまで、9列X5段=45台が壁一面に展示されています。
この壁から伝わってくるのは、各時代のミシンを開発した人、製作した人、それを使っていた人、さまざまな人々の思いと、物語です。
あまりの迫力に時間を忘れて見入ってしまいまいした。まさに圧巻です!
ミシンの仕組み
今までミシンといえば、小学校の家庭科の実習で習ったことが、唯一の知識だったのですが、どのように上糸と下糸が、うまい具合に絡み合い、ちょうど良い具合に締められて、縫い目が均等に出来ていくのか、「ミシンの基本構造」のコーナーで、初めて、理解することができました。
このコーナーでは、ミシンの基本構成を歴史的なミシンの実物で知ることができます。
一つ目は、ブラザーの「麦わら帽子製造用環縫ミシン(昭三式ミシン)1928年」。
1928年といえば、昭和三年です。
昭三式の名前は、昭和三年、その年に完成したことから名づけられました。
社名は「安井ミシン兄弟商会」でしたが、この昭三式のミシンから、商標も現在の「BROTHER」になりました。
このミシンでは、「ルーパー」という鎌型の機構が回転して、上糸の輪を一ピッチ進んだ次の上糸に進めて、そこにまた次の上糸の輪を掛けていきます。
そして二つ目は、イギリスのジョーンズ社のミシン(1880年台)これは「シャトル往復式」の機構で、下糸がシャトルで往復して上糸の輪の中を通ります。
そして三つ目は、ブラザーのミシン HA1-B2 (19470年)これは「垂直半回転カマ」による機構で、高速で、音も静かです。
おそらく、小学校の家庭科の実習で使ったのも、この垂直半回転カマ方式のミシンだったと思います。
ミシンはこうして作られる
2階に上がると、これまた美しいミシンの世界が展開されています。
特に私が注目したのが、「ミシンができるまで」のコーナーです。
「ミシン」という名前は、明治時代に「ソーイングマシン」から「ミシン」に変化したといわれていますが、まさに、マシンの精華を体現するのが、ミシンだと思いました。
その製造は、鋳造、鍛造、精密機械加工、板金加工、摺動部の研磨仕上げなど、機械製造の技術が駆使されていることがよくわかります。
また現代のミシンは、電動化、電子化が進んでいて、電子機械としての作り込みも、最先端の技術が駆使されています。
壁にはブラザーのミシン「COMPAL 700」の分解モデルが展示されており、なんと約500点もの部品で構成されているとのことです。
ミシンは機構的に難しい製品ですが、こういった多くの部品を高品質で作ることも大変難しい製品であると想像されます。
まずはその数の多さに驚きましたが、ひとつひとつの部品を最新の技術で製造し、正確に組み合わせ、調整・テストを繰り返していく・・・。それを想像するだけで、同じ技術者として胸に迫り来るものがありました。
ミシンが生み出す美しい世界
さて、ここで少し視点を変えて、ミシンそのものの構造ではなく、ミシンという道具を使って生み出された「作品」にスポットを当ててみましょう。
裁縫や刺しゅうが施された美しい衣装や装飾の数々は、まさに「芸術作品」です。「ミシンゾーン」の1階や2階で、これらの美しい作品に出合うことができました。
こういった美しい作品を目の当たりにすると、ミシンは作業を効率化する工業機械ではなく、美しいもの、そしてその美しさを創り出す楽しい時間を、世界中の人に届けている機械であることを実感しました。
チャレンジはどこまでも続く
今回のミュージアムの訪問で、ブラザーが、ミシンから始まり、その繁栄に留まることなく、新しい分野に挑戦し、新しい市場を創り出して、現在の多角的で世界的な企業に発展した過程を知ることができました。
創業期からの失敗の経験を成功につなげるスピリッツと、得意なメカトロ技術を力に、オリジナリティのあるモノ作りが、その成長の原動力となっているんですね。
最後に、ブラザー工業の社長が、困難や失敗にどのように向き合って、事業を変革してきたかを綴った書籍をご紹介します。
「ブラザーの再生と進化―価値創造へのあくなき挑戦」
(安井 義博 (著) 生産性出版 (2003/12/1)
ピンときた方は、検索してみてください。
今回は以上です。