アルファ博士の気ままにトーク♪ 第20話 ブルックナーゆかりの地を訪ねて ~音楽と工場設備、どう考えても似ています~

公開日時:2024/10/30

今回の気ままにトークは、普段、何となく感じている「音楽と工場設備は似ている」について語ってみたいと思います。


この場合の音楽は、特に、ベートーヴェンやブルックナーなどが作曲した「ガッチリした」音楽、工場設備は、手押し台車のような小さなものから、建物のように大きなものまでいろいろです。


似ている点は、大きく3つ。石積みのような構成、構想から完成までのプロセス、そして完成品から受ける印象です。


今日はそれらを 以前、作曲家の「ブルックナー」をテーマにして、2019年の秋にオーストリアを旅した時の写真を紹介しながら、語りたいと思います。

まずはブルックナー生誕の地を訪ねる ~オーストリアの第3の都市リンツ~

ブルックナーは、オーストリアの第3の都市「リンツ」の近郊で生まれました。


オーストリアで人口が1番多い都市は首都のウィーン、2番目がグラーツ、3番目がリンツです。


リンツは、ウィーンから西にドナウ川を約150kmさかのぼる方向、特急電車で1時間ほどの場所にあります。街の中心に流れているドナウ川の水運によって商業や工業が発展した町です。


このリンツには、モーツァルトが滞在したこともあり、その時に作曲した交響曲第36番は「リンツ」の名前が付いて親しまれています。


このモーツァルトの「リンツ」は名曲で、私も大好きな曲ですが、モーツァルトはこれを何と4日間で作曲したという逸話が残っています。

 

下の写真は、リンツを訪問した時に撮った、街の音楽ホール「ブルックナーハウス」の前庭に建つブルックナーの像です。国際ブルックナー音楽祭は、このホールを中心として開催されます。

リンツのブルックナーハウスの前に建つブルックナーの像

こちらの写真は、モーツァルトがリンツに滞在して交響曲「リンツ」を作曲した家です。通りの左側で、オーストリアとヨーロッパ連合(EU)の旗が外壁に下がっている建物です。

モーツァルトが滞在して交響曲「リンツ」を作曲した家

ザンクトフローリアン修道院 ~ブルックナーが在職した場所~

モーツァルトの「リンツ交響曲」と、ブルックナーの「交響曲第6番」を、リンツ郊外の「ザンクトフローリアン修道院」の聖堂で聴くことが出来ました。


ザンクトフローリアン修道院は、ブルックナーが少年時代には寄宿生として学び、また成人してからは、オルガン奏者、教師、作曲家として在職した場所です。

 

そして、ブルックナーは今、この聖堂の地下で眠っています。

 

修道院というと、普通は、こじんまりとした質素な建物を想像しますが、このザンクトフローリアン修道院は、ハプスブルク家によって拡充され、バロック様式の壮麗な宮殿のような造りで、皇帝が滞在する部屋や、美しい図書室もあります。

 

ザンクトフローリアン修道院

修道院の聖堂 ブルックナーが弾いていたパイプオルガン この地下に埋葬されている

ブルックナー愛用のピアノなど

修道院内の美しい図書室

修道院の聖堂で聴いたブルックナーの音楽

このような由緒のある場所で、この日の晩、ブルックナーの音楽を聴くことができました。曲は交響曲第6番、ワレリー・ゲルギエフの指揮、演奏はミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団です。


ここで聴くブルックナーの音楽は、特別な雰囲気が感じられるものでした。この聖堂の地下に眠るブルックナーの魂が舞い上がって、聖堂内に満たされていく、という感じです。

 


聖堂内での演奏の響きは、残響時間が非常に長く感じました。
通常のコンサートホールは残響時間が2~3秒ですが、ここは、その数倍はあるように聴こえました。残響が長いので、音が重なって、聖堂内に満たされる感じがしました。


これだけ長い残響の中で演奏するのは高い技術が必要と思いますが、ギルギエフとミュンヘンフィルは、ピタリと合った演奏でした。


この日の演奏は、音と映像が収録されて、ブルックナーの交響曲全集としてDVDが発売されています。

ザンクトフローリアン修道院の聖堂で聴いたブルックナーの交響曲

ブルックナーの音楽から受ける印象

その音楽の壮大さは、教会の聖堂のようで、石やレンガを積んで出来ているようにも思えます。


霧の中から徐々に姿を現したメロディー(石のブロック)が、永遠と繰り替えされて(高く積まれて)、吸い込まれる(聖堂の高い天井を見上げる)ようです。

 

石積みのような音楽の構造

このような壮大な音楽、それを構想して作曲し、一音一音を楽譜に記載、さらにそれを多くの楽団のメンバーが練習して、指揮者の元、合奏して演奏する、その構成とプロセスも、聖堂の石積みのように思えます。


そして、その構成とプロセスが、工場の設備を構想して、設計して、製作、設置、稼働させるまでと、同じように思えるのです。これらの共通点を考えると、いずれもヨーロッパの歴史と文化から生まれて発展したものだと思うのです。

 

もちろん日本でも、古来、寺院など大きな建物が作られてきましたが、ヨーロッパの石積みと日本の木造の違いによるものでしょうか。発想、考え方、進め方には、何か大きな違いがあるように感じています。

 

見えないものを表現するヨーロッパと日本の共通性と独自性

ここから先は、宗教的、あるいは形而上ともいえる領域なので、私に語る力はないのですが、あえて言えば、ヨーロッパと日本に共通することと、独特なものと、両方があると感じます。


目には見えないものを考えたり、感じたりすることは、世界共通、人類共通の特徴だと思います。それらを表現する方法には、共通性と独自性があると思います。


ヨーロッパでいえば、この修道院の聖堂やブルックナーの音楽のようなもの、日本でいえば、禅寺の庭や、能の舞台とその音楽のようなものかと思います。具体的なもので、目に見えないものを表現するという意味では、共通性がありますが、独自性ということでは、
ブルックナーの音楽が「複雑化(足し算)の文化」とすれば、能の舞台は「単純化(引き算)の文化」ともいえると思います。


アプローチの違いはあるけれども、それらが表現する内容は、お互いに理解できるし、魅かれ合うことがあると思います。

工場設備の構想は・・・

工場設備の構想は、「全体構想」と「要素技術開発」の両面作戦が求められます。そもそも何のための設備なのか(目的と目標)から考える「全体構想」、不可能なものをどうすれば可能に出来るかを考える「要素技術開発」、それら両面から攻めることで、実用性のある構想となります。

どちらか片方が弱いと、出来たものは不完全になります。

しかし、この2つを同時に把握しながら進めることは、意外と難しいと感じています。


両面作戦という意味では、ヨーロッパの文化や進め方が、設備構想と似ていると思います。

 

ヨーロッパと日本の特徴を意識しながら

いかがでしたでしょうか。

ブルックナーの音楽と工場設備を関連づけるのは、多少無理があったかもしれません。


しかし、ヨーロッパの文化と、日本の文化の両方を愛好する私としては、常々感じていたことなので、今回、語ってみました。

 

今日のお話は以上です。

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