【今月のまめ知識 第100回】直交座標から方法序説、そして演繹法と帰納法

公開日時:2021/07/28

とあるのんきな昼下がり・・・

博士「よーし、あるる。授業を始めるぞ〜。ホワイトボードに注目〜〜〜!」

あるる「はーい。なんのグラフですか? よく見かけますよね?・・・」

博士「直交座標、もしくはデカルト座標じゃ」

あるる「あれ? デカルトって確か、哲学者じゃなかったですっけ?」

博士「おお、すごいぞ、あるる。よく知っているではないか」

あるる「てへ、それほどでも(照) 少し前におじいちゃんが本を読んでいて・・・。

なんでしたっけ? 有名な言葉がありましたよね。

吾輩は・・・猫である・・・じゃなくて、我は・・海の子でもなくて・・・えっと、えっと」

博士「ふぉっふぉっふぉっ(笑)惜しいぞ! “我思う、ゆえに我あり” じゃ」

あるる「あ、それそれ!」

博士「それを知っておるのなら、話は早いぞ。よし、まずはデカルト的な演繹の話をしようではないか」

あるる「え? 演劇?! やったー、演劇、大好きです\(^o^)/ 舞台はいいですよねぇ〜♪♪♪」

博士「いや、演劇ではなく、演繹じゃ。帰納と演繹の・・・」

あるる「昨日の演劇? いくら好きでも、昨日は観てませんよ」

博士「そこまで堂々と聞き間違えてくれると、むしろ清々しいのぅ〜(笑)」

 

 

現代において誰もが知っている直交座標の元を作ったと言われている17世紀フランスの哲学者・数学者であるルネ・デカルト。

歴史上で数多くの偉大な数学者がいますが、数学を普遍的なものにしてすべての事を数学的に考えようとし、真理の探究方法として「方法序説」を執筆し、演繹法に至ったデカルトと、その対極にある帰納法について結び付けてみました。

 

デカルト座標

デカルト座標、いわゆる直交座標は平面上に二本の直交する座標軸を引き、それを刻んで数値を当てはめたもので、二つの実数の組によって平面上の点の位置を表す方法です。

 

座標の考え方はデカルト以前にも存在しており、また現在のような直交軸を基準としたグラフは、デカルトの書物には出てきません。しかし、幾何学上の図形の問題が代数によって表現できることを初めて示したのがデカルトでした。

幾何学と代数学を統一し、解析幾何学のベースを作ったと言う意味で、直交座標はデカルト座標と呼ばれ、座標の発明者と言われているわけです。

 

それまでの幾何学はユークリッド幾何学で、形や大きさ、角度などを定義するものであり、代数学は抽象的な文字の世界で、代数記号は各人各様で難解かつ複雑でした。

記号的代数学を創始したヴィエトは、未知数を母音文字(A,E,I,O,V,Y)、既知数を子音文字(B,G,D,…)で表記して、平方はquadratum,planum、立方はcubusなどの語で表記しました。

デカルトは難解な代数学をシンプルで普遍的なものにするため、未知数にx,y,…既知数にa,b,c,…を用い、
さらに画期的な記号法によって言語の部分を無くしたのです。

 

それまで、2A cubusと書いていたものを2x3と書き、量の代数学の基を作り上げました。

中学校で習う、未知数の表記や指数の表記はデカルトが決めたものだったのです。

 

二元一次方程式、y=ax+b において、

a=2、b=-3として独立変数のxに対して従属変数の y を計算してみると

下表の通りとなり、そしてデカルト座標があることで x と y の値を視覚化することが出来ます。

座標により、数や式を図形に出来たわけです。

一次方程式は英語で、Linear equationですが、一次関数をリニア(「直線上の」という意味)と表現するのは、まさにデカルト座標に表したからという事です。そしてベクトルも座標があったからこそ生まれたものです。

 

直交座標の軸の方向は任意性がありますが、一般的にx軸の正の向きから1直角分、反時計回りに回転した向きがy軸で、その反時計回りに右ネジを回転させたときに進む方向(右手の法則)がz軸の向きとなります。

そして、それまでの数学では、代数計算は答えを出してもそれが正しいかはわかりませんでした。

数式の中に文字が入っていたわけなので、そのため幾何学の定理を使って証明していて数計算が量の理論にとってかわられ、計算に出てくる要素は、いつでも幾何学的に表示されていなければならず、幾何学的な次元を伴った量でなければならなかったのです。


一次の量を直線、二次の量を平面、三次の量を立体とし、互いに加減できるのは同じ次元の量のみと考えられていました。幾何学的に考えると面積から線の長さを引くと言うと違和感がありますね。

つまり現在では当たり前の a2-b などはあり得なかったわけです。

しかし、デカルトはあらゆる量を直線の長さで表せるとして幾何の作図問題を代数の計算に還元して解いたのです。

方法序説

デカルトは「わたしは何よりも数学が好きだった。論拠の確実性と明証性のゆえである。」と言っています。

しかし機械を作るためだけではなく、数学はもっといろいろなことに役立つと考え、その考え方をわかりやすく普遍的なものにしたいと思ったのです。


そうして1637年に「方法序説」を世に出しました。

正式な題名は「理性を正しく導き、諸学問において真理を探求するための方法についての序説、付、この方法の試論たる屈折光学、気象学、幾何学」でした。


その序説において、物事を考える手法はシンプルであるのが良いとして、以下の四つの規則を示しました。

1) 明証性---本当に当たり前なのかを熟考する
2) 分析------検討する難問を細かく分解する
3) 総合------順序立てて認識を深める
4) 枚挙------全体を復習する

 

これを流れで言うと、こうなります。


当たり前だと思っていることを、改めて「本当にそうなのか?」と疑う

課題を細かく分け、考えやすくする

答えを出すにあたり、順序が無くてもあえて順序を付け、数学の証明のように導いていく

最後に全体を振り返り、漏れがないことを確認する

 

という事です。

 

ちなみに、デカルトは第一の明証性の規則を突き詰めてすべてを疑った結果、残ったのは「それを考えている(疑っている)自分の理性だけだ」として「我思う、故に我あり」と言ったわけです。

 


17世紀の欧州において、科学も医療も占星術も、学問はすべて一緒くたでした。

今では学校でも色んな科があり、病院でもたくさんの科に分かれています。
これは難問を解くために、細かく分けて考えると言うことの結果です。

演繹法と帰納法

デカルトの思考法は演繹(えんえき)法であり、近代合理主義の出発点となりました。


演繹法は、疑いようのない普遍的原理から論理的推論によって個別の事柄を導く方法です。

これに対する帰納法は、実験・実証による経験主義に基づく推論です。


演繹法では、前提が正しい場合、正しい結論が導きださされますが、三段論法がそうであるように、前提が間違っていると誤った結論となります。そこが演繹法の弱点です。


一方、帰納法では、前提が正しいからといって結論が正しいとは限りません。経験をあらゆる知識の源泉と見なします。


帰納法を提唱したのは「知は力なり」と言ったイギリスのフランシス・ベーコンだと言われています。


知識を得るためには、まず先入観や偏見を取り除いて、ありのままに観察する。そして観察や実験に基づく経験で結論を出す、というのが帰納法の基本的な考え方ですが、全事例を網羅しないかぎり、結論からもれる事例が存在する可能性があるというのが、帰納法の弱点でもあります。

 

この2つの推論方法で面白い話があります。

現在においては、物体の落下速度は時間の経過による関数であることは誰もが知っています。

デカルトは「真空中の石の落下」問題に関して、図形化しながらも、速度と距離と力の関係で図形化したため、速度を距離の関数と誤って考えてしまいました。


しかし、デカルトと親交のあったベークマンは、実験的数値を知っていたため、時間を関数とする正しい答えを導き出しました。


不安定な偶然要素に左右される実験を疑い、数学のみで考えたデカルトと、実験物理学でその結果から数学に入っていくベークマン。正しかったのはベークマンです。


そして少し先行して、イタリアではガリレイがこの手法(自然現象を数学を利用して研究する)を行っており、この3人が現代の自然科学へと向かうきっかけを作ったというわけです。


デカルトが行った図形化して考えるという事。そして、物体に運動の軌跡を微小部分に分割し、これを再び総合すると言う微積分学の基となる考え方が、ライプニッツ、さらにはニュートンへと引き継がれ、解析幾何学、微積分学が確立されていく過程となったと言えるでしょう。


数学的な筋の通った理屈の積み上げが、科学と合理主義を生んだわけです。

 

 

演繹法も帰納法も論理的推論方法ですが、優劣のあるものではなく、目的によって適する方を使い、場合によっては一方の結論を他方で検証することで、より良い結果を導くことが出来るでしょう。


どちらも合理性に基づいていますが、見方によっては「プロダクトアウト/マーケットイン」という対比とも似たものを感じます。


現代において色々な思考法がありますが、やはりそれらは数学が基になっていることを感じます。


前提 → 推論 → 結論

 

この流れの中で、「□□シンキング」と言われる複数の思考法は互いに補完関係にあり、デカルトとベークマンのように良い意味で競い合える仲間を見つけていきたいものです。

 

おまけ


「方法序説」第六部に、今の私たちが心しておくべき一節が書いてあるので、最後にお伝えしておきます。

 

「なお、この機会に後世の人たちに、わたし自身が公表したものでなければ、わたしの意見だとほかの人が言っても、けっして信じないようにお願いしたい。」

 

私たちは難解な学問であればあるほど、簡単に、そして手軽に理解しようと、原書は読まずに解説本で済ませる傾向があります。

 

しかし、物事の真理を知りたければ、他人のフィルターを通して簡略化されたものではなく、まずは本人の言葉を自分の頭で解釈することが大切なのだと、デカルトは私たちに教えてくれているように思います。いかがでしょう?

 

博士「どうじゃな、あるる、わかったかの? おや、どうした、口が開いたままじゃぞ」

あるる「(あんぐり)・・・あ。デカルトがあまりにもスゴ過ぎて、口を閉じるのを忘れていました。

いやー、すごい。かっこいい!」

博士「随分と熱心に聞いておったからのぅ。よし、しっかり学んだご褒美のティータイムじゃ」

あるる「ご、ご褒美?・・・。」

博士「ほれ、いい香りのお茶じゃ。あるるの好きな甘いモノもいっぱいあるぞ」

あるる「・・・。(じぃ〜っ)」

博士「どうした? あるるらしくないではないか。お腹でも痛いのか?」

あるる「いえ、「まずは疑え」ってデカルトさんに教えてもらったので、と疑ってるんです。博士が急にご褒美をくれるなんて、あ、怪しい・・・」

博士「ふぉっふぉっふぉぉ。こんのなにもすぐに実践するとは、さすがわしの教え子じゃ(笑) 良い機会じゃ。なぜ、お茶を出すのか? お菓子もあるのか? よ〜く考えてみておくれ」

あるる「ふむふむ。・・・。なるほど。このお菓子は初めて見るぞ。形も可愛い。しかもお茶は博士好み・・・」

博士「(もぐもぐ)うーむ、これはうまい!美味じゃ!! 止まらんのぅ〜(ぱくぱく)。 あるるも早く食べないと、なくなってしまうぞ」

あるる「ああっ! わかりました! これはご褒美ではなく、ただ博士が食べたかっただけ!」

博士「うーむ、バレたか〜。もう、朝から食べたくてなぁ〜(笑)」

あるる「やはり! そうとわかれば、いっただっきまーーーす。

うーん、美味しい\(^o^)/ 博士、ありがとうございます!!」

博士「やっとあるるらしくなったのぅ。一緒に食べると、美味しいのぅ」

あるる「はいっ!!」

 

 

 

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