アルファ博士の気ままにトーク♪ 第12話 盛田昭夫記念館「盛田昭夫塾」訪問 ~アタッシュケースの中身にびっくり!~

公開日時:2024/02/28

先日、ソニー創業者、盛田昭夫さんと奥様の良子(よしこ)さんの記念館「盛田昭夫塾」を訪問して、ご夫妻の「人となり」に触れることができました。今回はその訪問で感じたことを語っていきたいと思います。

この記念館は、盛田昭夫さんのご長女、盛田(岡田)直子さんが、両親が亡くなった後、東京のご自宅を整理した時に「両親の思いや大切にしてきた人との縁を伝えていきたい」と、盛田さんのご実家である造り酒屋の「盛田家」(愛知県の常滑市)の敷地内に、2020年に設立しました。

 

盛田昭夫さんは、ソニー(その前身の東京通信工業)を井深大さんと2人で創業。その後、トランジスターラジオやウォークマンなど、革新的な製品を次々と世に送り出してきました。


また、世界中を飛び回って、多くの人と親密なつながりを築き、製品の販路を世界に広げていました。同時にビジネスの範囲も、音楽などのソフトウェア関連から、生命保険業務などの金融へも大きく広げました。

 

この記念館では、盛田昭夫さんの生い立ちから、会社設立、アメリカへの進出、自宅でのお客様のおもてなし、各界の方々との交流などが、東京のご自宅に保管されていた物などを通して、紹介されています。

常滑市のご実家の敷地内に設立された記念館

家族への手紙 ~エアメールの便箋に小さな文字でびっしり~

1953年、盛田昭夫さん(32歳)は、アメリカとヨーロッパへ、初めて海外視察に出ます。


その年は、1946年(25歳)に東京通信工業を創業して8年目、また、結婚して3年目、長男が生まれた翌年にあたります。


記念館には、1953年から1955年の出張で、盛田昭夫さんから妻の良子さんとご長男に宛てたエアーメール数十通が、展示されています。

その中で、ニューヨークに到着した時、初めて家族に宛てて書いた1通の文面が展示されていましたので、一部を紹介したいと思います。

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「良子どの、英夫どの 8月16日 夜12時


このエアーレターをようやく手に入れたのと、やっと、自分を取りもどしたのとで、初めて手紙が書けます。考えてみれば、こちらでは今、日曜の夜、そちらでは月曜の午後2時。そちらを出たのが水曜の午後2時。たった5日間の間に、東京、ウェーキ、ハワイ、サンフランシスコ、レッドウッド、シカゴ、ニューヨークと、目まぐるしく飛び、色んな初めての経験ばかりしたので、何かもう永く永く経ったような気がします(注:ウェーキ(ウェーク島)は、羽田からハワイへ向かう途中の給油地)。


実は、羽田を出てから、熱が出て、相当苦しみ、寒くて困りました。ウェーキ、ハワイと、苦しい旅でしたが、ハワイで気持ちの良い数時間で、だいぶ元気快復、シスコに着くころには、気分だけは、どうやらおさまりました。」(後略)

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盛田さんといえば、ビジネスジェットで快活に世界中を駆け回っておられた印象ですが、最初の海外出張では、熱を出して、大変だったのですね。

 


それにしても、25歳で会社を創業、32歳で海外視察、海外進出を決心(それも1953年の当時)。このバイタリティは特別なものだとあらためて感じます。

 

一方、家族に宛てた手紙からは、率直な、飾らない人柄が感じられました。

ビジネスでは、ダイナミックな動きや大きな決断をされた方ですが、実は、非常に繊細でちみつな性格であられたことも文面や筆致から感じられました。

家族宛てエアーメール

アタッシュケースとスケジュール表 ~用意周到、何でも自分で行う、実行力~

この展示は、今回の訪問で最も印象が強かったものです。ビジネスで持ち歩いていたアタッシュケース、その中身と、スケジュール表・・・開かれたアタッシュケースの中は、出張先、外出先で使うビジネス用品がぎっちり満載です。

 


マイクロカセットテープレコーダー。これは盛田さんの使われていた道具で有名です。どこでも、ボイスメモを細かく取っていました。


文房具では、万年筆、ボールペン、粘着テープ(両面テープ?)、消しゴム、小型ステープラー(ホッチキス)、手帳、メモ帳、ルーペ、旅行用品、日用品では、アイマスク、十徳工具、予備腕時計(2個)、ヘアクリーム?、櫛、爪とぎヤスリ、など。また名刺入れ(ソニー株式会社取締役会長)、などなど。


電話表、海外電話表、AT&T USA Direct アクセスポイント番号表。盛田さんは「電話魔」としても知られていました。世界の各地から、いろいろな人に、直接、電話をかけていました。

 

そして、大きなスケジュール表、これはA3サイズを2つに折りたたんでA4になる白い表紙のもので、1993年のものがアタッシュケースに入れられています。


スケジュール表の一部が、展示されていますが、これは緻密なもので、毎日(縦列)の時間スケジュール(横軸)に小さな文字で鉛筆で記入しています。会長として活動されていた時も、ご自分の公私さまざまなスケジュールをご自分で把握してやりくりされていたのですね。

 


エアメールの展示でも感じましたが、盛田さんは、ダイナミックなスケールの大きなビジネスマンとして知られていますが、それを支えていたのが、このような用意周到な緻密さと、自分で考え、自分で判断し、自分で実行するその行動力であったと感じました。


そして、小型のステープラーなど、「小型で密度の高いデバイス」がお好きだったことも伺えます。

盛田氏のアタッシュケースの中身

ダイニングテーブル ~世界の賓客をおもてなし~

盛田昭夫さんは奥様の良子さんと共に、世界のお客様を自宅に招いて、心のこもったおもてなしをしてきました。自宅に招いての会食は、1969年から1997年まで400回以上におよび、そのお客様には、アメリカの国務長官のキッシンジャーさんなど、世界の著名な方が多くいらっしゃいました。

 

記念館では、14人が着席できる大食堂とそのダイニングテーブル、その一部を再現し、400回以上催されたパーティ、ランチ、ディナーの記録が展示されています。そこには、参加者名、座席表、食事メニュー、ワインリスト、料理人名、なども記録されています。

 

展示されているページでは、キッシンジャー元国務長官夫妻、宮沢喜一夫妻などが出席されています。これらは主として奥様の良子さんが、すべてに気を配って準備されたものです。この記録からは、フォーマル、インフォーマル、その時々に応じた熟慮された心配りが感じられました。

 

ダイニングテーブル(一部再現)

パーティーリスト

地下のプール ~カラヤン氏とその子供たち~

昭和42年(1967年)に竣工した東京の自宅は、海外の賓客をおもてなしできるように気配りがされていて、記念館では、この邸宅の平面図、その内部の写真、説明が展示されています。


この邸宅の平面図で特に目をひくのが、地下のプールと、14人が着席できる大食堂、そして大きな客間です。

 

盛田さんは、私の好きなクラシック音楽とも、大きなつながりを持って活動されていました。その中でも、指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤン氏とは、「親友」としての交流が知られています。

 


この地下のプールは、カラヤン氏との交流を書いた書籍に登場するので、非常に興味深く平面図や写真を拝見しました。その本には、カラヤン氏とその2人のお嬢様が来訪した折り、このプールとジャグジーに一緒に入るお話が書かれています。


盛田さんも、カラヤン氏のオーストリアの自宅やスイスの別荘を訪れた時は、カラヤン宅のプールで一緒に泳いでいたようです。これはもう、文字通りの「裸のおつきあい」ですね。

地下プール

ソニーの社服 ~三宅一生デザイン、スティーブ・ジョブスもこのユニホームのファン~

盛田昭夫さんの着ていたソニーの社服(ユニホーム)も展示されています。胸には「盛田」と書かれた社員証も付いています。

 

この社服は盛田さんが会長だった1981年に、ファッションデザイナーの三宅一生さんにデザインを依頼して作ったもの。ナイロン製のベストですが、腕の部分がジッパーで取り外し可能、胸やわきにポケットが付いています。


襟から前合わせ、裾の縁に赤のラインが入っているのが、アクセントになっています。


この社服は、盛田さんご自身もお気に入りで、ソニーを訪問したいろいろな方と共に、この社服を着て撮った写真が残されています。

あのアップル社のスティーブ・ジョブスさんもこの社服のファンで、伝記「Steve Jobs by Walter Isaacson」に、この社服のことが書かれています。


スティーブ・ジョブスさんは、盛田さんを訪問した時に、この社服のことを話題にしていました。ジョブスさんはとても気に入ったので、自分のアップル社のためのユニホームを三宅一生さんに依頼して、サンプルを会社に持ち帰ります。


しかし、ユニホームを着るという考えは、アップル社のメンバーから大ブーイングを受けたので、導入をあきらめたとのことですが、社服のサンプルを作る過程で三宅一生さんと友達になったジョブスさんは、三宅さんを定期的に訪問するようになって、その結果、三宅さんが「自分専用のユニホーム」(あの有名な黒いタートルネック)を数百枚作ってくれた、と語っています。

 

盛田氏お気に入りのユニホーム

世界のコンサート、ミュージカル鑑賞の記録 ~会社パーパスの源流は、音楽の感動体験~

盛田昭夫、良子ご夫妻が鑑賞されたコンサートとミュージカルの多くの記録が残されています。


カラヤン氏や小澤征爾氏が出演していた「ザルツブルク音楽祭」や「バイロイト音楽祭」などのリーフレットやプログラムが整理されたファイルが展示されていました。


これらの多くのリーフレットを見ると、何より盛田さんご自身が音楽をこころから楽しんでいたことが推察されます。多くのパンフレットやプログラムが残されているのは、ご自身が楽しんでいたからと思うからです。

 

ソニーの会社のパーパス「世界を感動で満たす」の源流は、盛田さんご自身の音楽の感動体験にあると思いました。

ミュージカル、コンサートの鑑賞記録

ミュージカル、コンサートの鑑賞記録(ザルツブルク音楽祭)

ダンディでダイナミックなビジネスマンは、実はマメで几帳面、奥様と世界の人々をおもてなしーーー以上、記念館の全体の一部ですが、印象に残ったものを中心に紹介しました。


盛田昭夫さんがなされた大きな仕事、実はその裏にあったもの:マメで几帳面、用意周到、自ら動く行動力、ざっくばらんで、気取らないお人柄、心を開き、奥様の良子さんと共に心を配ったおもてなしの気持ちで、世界の人々と、縁を大切にして、太い絆を結んでいた。それらが今回の訪問で、特に心に残りました。

 

今回のお話は以上です。

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