NICおーっ!とテック物語【第7話】クリーンルーム事業、始まる

公開日時:2014/03/18

前号までのお話


ここで一気に時間をワープして、NICの創業時を振り返ってみたいと思います。

NICオートテックの前身である『西川鑢(やすり)製作所』は、

昭和2(1927)年4月、富山県不二越町に誕生しました。

 

創業者は現社長の祖父、建造。

当時の日本の製造業では不可欠だったやすりの向上に情熱をもやし、

建造は日本ではじめて焼き入れ鋼テストピース硬度試験ヤスリを開発します。

ものづくり界へ大いに貢献するとともに、その高い技術が評価され、

西川鑢製作所は海軍の軍需指定工場になったのです。

 

そして迎えた終戦−−−。

変化の激しい世情を見極め、創業から35年目にして、

「ヤスリからアルミニウムへ」と決断を下します。

富山県という地の利を生かし、アルミとともに歩む日々が始まりました。

そして1985(昭和60)年4月、エヌアイシ・オートテックが誕生したのです。

 

 

大阪に流通・営業の拠点を構える


 

ここで『おーっ!とテック物語』は、第一話へとつながることになります。

NICオートテックが誕生して1年後の1986(昭和61)年、

「アルファフレーム」を開発します。

 

デビューこそ手痛い結果となりましたが、2度目のお披露目にして世の中に迎えられ

「アルミの可能性」を確信するに至ります。

 

いける! そう思ったら次なるステップへ動き出すのが、

ものづくりに携わる者としての使命です。

「アルファフレーム」をより安定して供給できるよう、

1992(平成4)年、流杉工場の増築及び自動切断機を導入。

足元をしっかりと固めて行きます。

 

続いて着手したのは、強靭な販路の確立です。

豊かな水に囲まれた富山は、アルミの生産においては

非常に恵れた素晴らしい立地ではありましたが、

流通拠点としては距離がネックになってしまう。

迅速な対応をするには、やはり都市に出るべきだ−−−−。

 

そんな思いから、1993年2月、首都東京に東京支店(現在の東京本社)を開設。

アルミフレームの日本におけるパイオニアとして、全国へ向けての発信を開始します。

すると、機械装置の新たな部材として、関東地区の大手から中小まで多くの関心が集まり、

説明会を開いて欲しいと言う要望が、後を絶ちませんでした。

 

その反響は関東地区だけにとどまらず、

全国から非常に多くの問合せが来るようになったのです。

 

もっと迅速に対応しなければ、熱が冷めてしまう!

 

「鉄は熱いうちに打て」ということで、西日本の営業・流通の拠点となる

「西日本テクニカルセンター(現:アルファフレーム関西)」

に東大阪市に開設しました。

 

当時の東大阪市は、製造業の問屋などが集まる商売人の街。

スピーディーで活気溢れるその街に、NICオートテックも軒を連ねることとなったのです。

 

時は1996年の8月。

私たちにとって飛び切り暑い(熱い)夏になったことは、言うまでもありません。

 

挨拶状1
西日本テクニカルセンター開設の案内状

 

挨拶状2
西日本テクニカルセンター開設日はなんと平成8年8月8日!!! 末広がり3乗の縁起の良い日だったんですね。

 

 

NIC、クリーンルーム事業に乗り出す


 

1996年、NICにとってもうひとつ大きな動きがありました。

それは「クリーンルーム」という新しい事業との出会いです。

 

1995年、Windows95のセンセーショナルな登場から、

日本には前代未聞の「パソコンブーム」が到来します。

 

今まで1部署に数台だったコンピュータが一人一台となり(まさにパーソナル!)、

国内外の多くのメーカーが、パソコンの製造に乗り出しました。

 

もともとアルミフレームは、電機・電子産業でのニーズが大きく、

クリーンルーム内で使用されることも多かったのですが、

半導体の微細化も進み、より高いクリーンな環境が求められる中、

“クリーンルームに持ち込める材料”として、軽量で安価なアルミフレームの評価は

次第に高くなっていきました。

 

そんな動きを背景に、アルミのプロ集団であるNICオートテックと、

時計をはじめ精密機器の高い技術力を持ち

長年の取引先であるセイコー電子(現:セイコーインスルツル株式会社)が

共同出資によりエヌアイシ・セイコー株式会社を設立。

この新しい会社を足掛かりに、クリーンルームという新しい事業に乗り出したのです。

 

 

さらに扉は開く ーーードイツ企業との提携


 

そして、ものづくりの精神は海をも越え、

ドイツ国内でも有数のクリーンルーム技術を持つ、

いわばクリーンルームの職人軍団

マイスナー・ヴゥルスト社 とタックを組み、

さらなる可能性にチャレンジしていくことになるのです。

 

こうしてまた新たな一歩を踏み出したNICオートテック。

1997年12月に、エヌアイシ・セイコーはエヌアイシ・セイコー株式会社を

ニック・セイコー・マイスナー・ヴゥルスト株式会社に社名を変更し

次世代のクリーンルーム事業に向け、三人四脚で新たなスタートを切ったのです。

 

クリーン事業当初のカタログ(表)
クリーンルーム事業スタート当初のカタログ(表紙)

3社合弁後のカタログ(裏)
カタログ裏面には新社名が記されています

 

 

東京有明に待望のショールームをOPEN


 

ニック・セイコー・マイスナー・ヴゥルスト株式会社誕生と時を同じくして、

NICオートテック東京支店(現:東京本社)は、東京都江東区有明に居を移転することとなります。

 

有明といえば、展示会のメッカ

「東京ビックサイト(東京国際展示場)」ある場所です。

 

もちろんNICも展示会には積極的に出展しておりましたが、

クリーンルームの良さをわかってもらうには、

展示会のブースだけではスペース的にも説明する時間にも制約がありすぎました。

 

「もっと多くの人に見てもらいたい!」

「時間を気にせず、ゆっくりと心置きなく話し合いたい!」

 

ここにショールームを作ろう!!    

 

東京支社はビックサイトから歩いてわずか数分。

ここなら展示会帰りでも、無理なく立ち寄ってくれるはずです。

 

東京事務所空撮02
東京支社(現東京本社)はご覧の通り東京ビックサイトからほどちかい恵まれた立地にあります。そこにクリーンルームのショールームを作ったのです

 

 

日本とドイツの職人たちが共同で作り上げたショールームは、

まさに「次世代のクリーンルームエンジニアリング」

象徴するに相応しいものになったのです。

 

新たな拠点を手に入れたクリーンルームチームは、気合いも新たに積極的にアピール。

展示会場に来てくれた方々に、

「すぐ近くにショールームがありますから」

「実物がご覧になれます」とお伝えしていきました。

 

すると、次第にショールームも認知され、

多くの方が快くショールームに足を運んでくれるようになりました。

 

さすがは時代の寵児、クリーンルーム。

ゆっくり話したかったのは、私たちだけではなかったのです。

 

落ち着いた雰囲気の中、展示会場ではできなかった

「エンジニア同士の腹を割った話し合い」が、数多くなされていきました。

 

nicseiko_showroom
クリーンルームショールームの様子。PCのモニタなど端々に時代を感じます

nicseiko_showroom3
世界各地のエンジニアの方々が興味深く話を聞いてくださいました

 

ショールームという強い味方を得て

「クリーンルーム」は今後どのように飛躍して行くのか?

そしてNICのアルファフレームは?

 

続きはまた次回のお楽しみということで。

 

<つづく>

 

 

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